北小路城(きたこうじ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 飯田氏か
 遺構  : なし
 交通  : 近鉄奈良線近鉄奈良駅徒歩5分


       <沿革>
           戦国時代末期に、筒井氏麾下飯田氏の居城であったとされる。ただし、少なくとも
          多聞山城の松永久秀と対立していた永禄二年(1559)から元亀二年(1571)の間、
          奈良一帯は筒井氏の支配下にはなかったものと推察される。飯田氏が北小路城に
          居城していたのが、これより前なのか後なのかは定かでない。
           元亀二年(1571)、久秀に続いて筒井順慶が織田信長に臣従し、松永・筒井両氏
          は和睦に至った。『和州諸将軍伝』によれば、同年に順慶は久秀・久通父子を招き、
          北小路城で猿楽を催したとされるが、同書は江戸時代中期の成立のため、確証は
          ない。以後の北小路城については不明である。


       <手記>
           今日の住所表記では、慈眼寺から南の一帯が北小路町とされています。東半分
          は奈良女子大の敷地で、その他も市街地化されており、遺構はおろか城跡らしい
          ものは見られません。
           すぐ東に宿院町があり、宿院城があったとされています。両町はあまりに近すぎる
          ため、北小路城と宿院城は同一、あるいは相互補完的に並立していたものとも考え
          られます。


北小路町現況。


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