北熊井城(きたくまい)
 別称  : 熊井城、熊井野井城
 分類  : 平山城
 築城者: 小笠原長時か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : JR塩尻駅からバスに乗り、
      「町村」下車徒歩10分


       <沿革>
           小笠原氏によって築かれた拠点城の1つとみられているが、詳しい築城の経緯は不明で
          ある。天文十七年(1548)七月の塩尻峠の戦いで小笠原長時が武田晴信(信玄)に敗れ、
          同年十月に小屋城(村井城)を整備するまでの間に、北熊井城も落城したと推測される。
           天文十九年(1550)に小笠原氏を追い落とすまで、武田氏の松本平攻略の拠点となった
          とされるが、詳しい動静やその後の扱いについては定かでない。


       <手記>
           北熊井城は南北を浅い沢に挟まれた、東西に細長い丘を利用した城です。主郭にあたる
          本城を中心に、地元の保存会によってきれいに整備されており、ほぼ全城域を見学できる
          ようになっています。
           大きく本城の前方に3つ、後方に2つの曲輪から成り、それぞれ空堀で区切られ、最後尾
          の東端には「館の端」の転訛とみられる「竹の花」という区画があります。本城以西の曲輪
          はすべて上手側にのみ土塁が設けられており、初めは先端部だけの城砦であったものが、
          漸次東方へ拡張されていったとも考えられますが、推察の域を出ません。
           城域の南側には通路を兼ねたと思われる一直線の横堀が通っており、また本城の東辺と
          南辺は空堀が二重三重に厚くなっている点も、大きな特徴です。他方で北側にはほとんど
          防備が施されておらず、また現地説明板でも指摘されている通り虎口に工夫が見られない
          など、造作の規模に比して薄さも感じられます。
           この点、北熊井城の仮想敵が明確に南方であることから、武田氏が侵攻拠点として取り
          立てたとしても、最終的な改修者は小笠原長時であった可能性が高いといえるでしょう。
          松本平を平定できれば、武田氏にとっては価値がなくなるため、そのまま討ち捨てられた
          ものと拝察されます。
           ちなみに、南西1kmほどのところには南熊井城があります。ですが、一般には北熊井城
          の出城といわれるものの、単郭の崖端城で防衛能力が高いとはいえません。個人的には、
          南熊井城については在地領主の居館とみるのが妥当と考えており、「南北」とセットで括る
          のはいかがかと。同様のことは、熊井城の北方にある赤木南城・赤木北城についても当て
          はまると思われます。

           
 西から北熊井城跡を望む。
北側道路からの入口。 
 入口付近から本城を望む。
本城西側の堀切。 
 本城南西の大手とされる開口部。
本城南辺の横堀。 
 本城虎口のようす。
本城郭内のようす。 
 本城からの眺望。
本城東辺の土塁。 
 本城東辺1条目の空堀。
同じく2条目。 
 本城南東隅の金池跡。
東一曲輪南西隅のようす。 
 東一曲輪のようす。
東一曲輪東側の空堀。 
 東二曲輪と竹の花の間の堀跡。
西一曲輪南辺の空堀。 
 西二曲輪東側の空堀。
東西と南北の空堀の交差点。 
 西三曲輪と西二曲輪の切岸。
西三曲輪を俯瞰。 


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