小浜城(こばま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 進藤氏
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR東海道本線守山駅よりバス
       「小浜」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           六角佐々木氏重臣進藤氏の居城とされる。進藤氏は、同じく六角氏重臣の後藤氏と並んで
          「佐々木の両藤」と称される重鎮であった。その出自は明らかないが、代々山城守を名乗り、
          長久−貞治−賢盛と続いたとされる。とくに貞治は、外交面で六角氏を支えた人物として知ら
          れている。
           『言継卿記』には、山科言継が永禄十二年(1569)十一月九日に坂本から小浜へ渡り、東へ
          向かったことが記されている。六角氏は前年の織田信長の上洛に際して滅んでおり、進藤氏
          は信長に従っていた。
           『守山城物語』によれば、小浜は慶長年間(1596〜1615)まで木浜に次ぐ琵琶湖の要津で
          あったとされる。賢盛は、天正十年(1582)の本能寺の変の後は織田信雄ついで豊臣秀吉に
          仕えたが、小浜城のその後は不明である。
           小浜城と木浜城はどちらも進藤氏の居城と伝えられているが、『近江名跡案内記』や『日本
          城郭大系』などでは、木浜城が主城で小浜城を支城とみている。木浜と小浜の湖港としての
          規模の比較による推測と思われる。


       <手記>
           小浜城は、小浜集落の中心付近にあったとされています。小浜は野洲川河口にあり、古く
          から水運上の要衝であったことがうかがえます。
           『守山城物語』によれば、かつては称名院を北東隅とする南北方向に長い長方形の内堀が
          巡っていたそうです。この堀は今では失われているため、城跡の直接の遺構はありません。
           ただ、集落全体を囲う水路があり、広義の小浜城の外濠とみることができます。この水路は
          きれいな半月型を描いて称名院裏手を通っており、かつての小浜の範囲を伝えているものと
          思われます。

           
 小浜城北東隅とされる称名院。
称名院裏手の集落を囲う水路。堀跡か。 


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