古河公方館(こがくぼう) | |
別称 : 鴻巣館、鴻巣御所 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 足利成氏 | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : JR東北本線古河駅または 東武日光線新古河駅徒歩40分 |
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<沿革> 享徳四年(1455)、享徳の乱に際して鎌倉を今川範忠に奪われた鎌倉公方足利 成氏は、御料地であった下河辺荘に移り、鴻巣に居館を築いた。長禄元年(1457) には古河城に移り、成氏は古河公方と呼ばれるようになった。 古河城移転後の鴻巣館の扱いについては定かでない。両者の間は船で行き来 可能であったとされることから、一体となって広義の古河城を形成していたとする 見方もある。 天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅亡すると、名目上の古河公方で あった足利氏姫は、古河城からの退去を命じられ、鴻巣館へ移った。足利氏姫は 足利義氏の娘であるが、「氏」という名前なのか、足利氏の姫という意味なのかに ついては両論がある。 足利氏姫は小弓公方の流れを汲む足利国朝と結婚し、文禄二年(1593)に国朝 が病死するとその弟頼氏と再婚した。頼氏は慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後 に喜連川藩を立藩したが、足利氏姫は喜連川に移ることなく、子の義親とともに 元和六年(1620)に亡くなるまで鴻巣御所に住み続けた。 寛永七年(1630)に頼氏が没すると、既に世を去っていた義親の子尊信が家督 を継いだ。尊信も鴻巣御所に居住していたが、これによってついに館は廃された。 <手記> 古河公方館跡は、現在古河総合公園の敷地内となっています。三方を御所沼 に囲まれた舌状地形を利用したもので、主郭とされる先端部が、現在「公方様の 森」と呼ばれています。その名の通り、公園のメインゾーンからは離れた静かな 森となっていて、主郭の付け根に堀切と土塁が残っているほかは緑に覆われて います。堀の外側(二曲輪)に石碑等が設置されています。 御所沼は、戦後に一度埋められたものを近年復元したものだそうです。かなり 大きな池で、よくまぁわざわざ作り直したものだと感じましたが、これでも往時に 比べたら比較にならないほど小さいということです。そのぶん、公方様の居城と しては手狭な感は否めないので、古河城へ移転した理由はそのあたりが一番 なのかなと思われます。 |
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石碑。 | |
堀と土塁。 | |
御所沼のようす。 |