幸谷城(こうや)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 斎藤氏か
 遺構  : 土塁か
 交通  : JR新松戸駅徒歩10分


       <沿革>
           『高城家文書』によれば、享保十三年(1728)に小金城主高城氏の子孫である旗本高城
          清胤のもとを幸谷の五郎右衛門なる人物が訪ね、自分の先祖は高城氏家老斎藤外記で
          あり、斎藤家の城が幸谷にあったと語ったとある。
           斎藤外記や斎藤氏について、詳細は不明である。


       <手記>
           赤城神社から通称「関さんの森」の間の何処かに、幸谷城はあったとされています。坂川
          河岸の城館と推測されますが、武蔵野線の土取りによって旧地形はほとんど崩されている
          ようです。
           『日本城郭大系』には堀と土塁が現存しているとありますが、どこにあるのか、まだ残って
          いるのかは不明です。赤城神社の入口に、削り残しにしては不自然な塚状の土盛りがあり
          ますが、あるいはこれが土塁跡かとも思われます。
           旧地形図に照らしてみると、赤城神社は東から西に延びる舌状台地からさらに飛び出した、
          浮島のようなところにあります。ですので、神社境内か、もう1つ台地の根本側(現在は線路
          の下)に比定することは十分可能かと考えられます。

           
 赤城神社。
神社入り口の塚状の土盛り。 


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