小出城(こいで)
 別称  : 花田城、城田城
 分類  : 平山城
 築城者: 小井弖氏か
 遺構  : 堀、土塁、曲輪
 交通  : JR飯田線下島駅徒歩15分


       <沿革>
           土豪小井弖氏(小出氏)の居城であったとされる。小井弖氏は工藤氏の一族とされるが、
          詳しい系譜は諸説あり定かでない。建長三年(1251)に、小井弖能綱が嫡子師能に充てた
          譲り状が残り、能綱の代までには小井弖郷に拠っていたものと推察される。師能について
          は、鎌倉幕府の新年参賀の「垸飯」役に何度か就いたことが、『吾妻鏡』に記されている。
           応永七年(1400)の大塔合戦では、小井弖薩摩守が守護小笠原長秀方で参戦している。
          15世紀の中ごろには、小出摂津守能房の娘が諏訪大祝の諏訪信有に嫁いだ縁で、能房の
          子の弾正忠朝能と、その子伊賀守有能が諏訪氏を頼って移り住んだとされる。小井弖郷の
          小出氏と小出城のその後については詳らかでない。
           ちなみに、豊臣秀吉の義理の叔父にあたり、岸和田藩主となった小出秀政は有能の子孫
          とされる。江戸時代の『藩翰譜』によれば、大名小出家の祖先は工藤氏と同族の二階堂氏
          の後裔とされている。ただし、同書では鎌倉幕府草創期の政所別当二階堂行政の9代子孫
          時氏を祖とするとあり、『吾妻鏡』等に見られる小井弖氏の事跡と年代的に合わない。


       <手記>
           小出城は戸沢川のとその支脈の谷が南と東を削る台地の角にあります。城跡へ至る道は
          細いのですが、西の広域農道を北から走ると、小出城跡の標識があるので迷うことはない
          でしょう。ただ、はっきりした駐車場はないので大きな車の方はご注意ください。また麓から
          の道は、細いうえに急坂のようなのでおすすめできません。
           道路から登るとすぐ主郭の中城に至ります。一番の見どころはその東側で、間に土塁を
          挟んだ豪壮な二重堀が穿たれています。さらにその先にもう1郭あるそうですが、真夏とて
          藪がひどく今回は断念しました。
           主郭の三方の堀が残っていることになりますが、その他の曲輪については、圃場整備が
          成されていることもあり不明瞭です。中城の西には西城、北には屋敷添の小字があります
          が、どちらも田畑となっています。
           沿革では主に小出氏の事蹟について触れましたが、ここが小出氏の居城であったという
          確証はありません。ただ、現在の小出一区の台地には山からの沢水もあり、開拓に向いて
          いたようには思います。とはいえ、今に残る遺構は、一介の在地領主の城の造作とは思え
          ません。おそらく、武田氏の進出後に同氏によって改修されたのでしょう。

           
 主郭入口の土塁と城址碑。
主郭(中城)のようす。 
 主郭の説明板。
主郭東側の二重堀切。 
 主郭北辺の空堀。
切通し道となっている、主郭と西城の間の堀。 
 西城のようす。
城前の風景。 


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