小瀬戸城(こせど)
 別称  : 殿山
 分類  : 山城
 築城者: 岡部氏か
 遺構  : 堀、削平地
 交通  : 西武池袋線飯能駅よりバス
       「飯能第二小学校」バス停下車徒歩15分


       <沿革>
           飯能第二小学校の裏山は、通称「殿山」と呼ばれている。『新編武蔵国風土記稿』の
          小瀬戸村の項には、「岡部六弥太忠澄の後胤岡部小右衛門此所に土着せし」とある。
          岡部氏は武蔵七党の1つ猪俣党の庶流とされ、岡部忠澄は平安末から鎌倉時代初期
          に活躍した人物である。小瀬戸からひと山越えた高麗川上流の吾野には、同じく岡部
          氏が住したとされる岡部屋敷がある。岡部小右衛門について詳細は不明だが、同名の
          人物に、天正十八年の小田原の役に際して北条氏重臣松田憲秀を介錯した松田氏の
          家臣がいる。
           ただし、岡部氏と殿山の城を直接結び付ける証拠はない。

       <手記>
           比較的最近発見された城跡ということで、小瀬戸城というのも今のところ仮称のよう
          です。はっきりした登城路もなく、『城跡ほっつき歩記』さまでお勧めされている、学校
          北東隅付近から緩やかな尾根筋を直登するルートをとりました。登り切ったところから
          峰先方面へ首を向けると、立派な堀切があります。この堀の向こうが城域ということで、
          2段ほどに削平されているように見受けられます。このうち、下段の尾根先端付近に、
          小さな金毘羅社が祀られています。この2段削平地のうち、どちらが主郭かは判断の
          難しいところです。というより、先の堀切を北限とすると、かなり小規模な城ということに
          なるので、主副を考えること自体、無意味なのかもしれません。
           一応、背後の主峰頂上まで登ってみましたが、自然地形が続くばかりでした。全体の
          感想としては、開発領主の詰城の域は出ないものと思われます。岡部小右衛門が天正
          の人物だったとすれば、彼の頃にはすでに廃されていたのではないかというのが直感
          です。

           
 小瀬戸城遠望。
 手前は屋敷跡とされる小学校。
 
堀切。 
 
 金毘羅社。


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