千代城(せんだい)
 別称  : 千体城
 分類  : 山城
 築城者: 国分氏か
 遺構  : 土塁、虎口
 交通  : JR仙台駅より循環バス、
       大橋または仙台城址バス停下車


       <沿革>
          文禄元年(1592 )まで、国分氏の城であった。古く千体仏が祭られていたことから、もとは千体城、
         後に千代城と呼ばれるようになった。築城の経緯については明らかでなく、鎌倉時代末期頃に陸奥守
         であった島津氏が千代城にあったともいわれるが、定かではない。
          伊達政宗の岩出山城入封後の慶長元年(1596)、国分氏当主で政宗の叔父の盛重は、伊達家を
         出奔し、佐竹氏を頼った。これにより、千代城は廃城となった。
          関ヶ原の戦いの後、政宗は新たな居城を当地に築いた。築城にあたり、政宗は名称を千代から仙台
         に改めた。


       <手記>
           仙台開府400年に際してはじまった仙台城石垣解体復旧工事で、現在の本丸石垣の内側に千代
          城期の土塁、虎口が発見されました。訪れたときには残念ながら埋め戻されていて、肉眼で確認す
          ることはできませんでした。
           その他今回の工事は、3期にわたる石垣の重層構築など様々な面で注目されているようです。
           現在は工事も一段落して壮麗な姿をまた取り戻していますが、本丸内の仮設展示場に発掘の概
          要が展示されています。




仙台城本丸石垣解体修復工事の様子(写真右側付近から千代城時代の土塁、虎口が見つかった)


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