仙台城(せんだい)
 別称  : 青葉城
 分類  : 山城
 築城者: 伊達政宗
 遺構  : 石塁、水濠、曲輪等
 交通  : 仙台市営地下鉄東西線国際センター駅徒歩10分


       <沿革>
           慶長六年(1601)、関ヶ原の戦いの戦功により奥州62万石に封じられた伊達政宗は、藩の都城として、
          国分氏の千代城があった青葉山に築城を開始した。同八年(1603)に山頂部の本丸が完成し、同年八月
          に政宗が入城した。同十五年(1610)には、本丸大広間が完成した。この大広間には、政宗よりも格上の
          人物(将軍や天皇)を迎えるための上々段の間が備えられていた。政宗は、翌十六年(1611)にスペイン
          出身のビスカイノと、同十八年(1613)には同じくスペイン人宣教師のソテロと、仙台城で面会した。とくに
          ビスカイノは、仙台城を「日本の最も勝れ、最も堅固なるものの一」つと賞賛した。
           元和二年(1616)、地震により城は被災した。これにより、後述する3期にわたる石垣のU期石垣が本丸
          に築かれることになった。
           寛永五年(1628)、山上の城の不便を厭った政宗は若林城を築いて移った。政宗の死後、2代藩主忠宗
          は、同十五年(1638)に山麓に二の丸を造営し、新たな藩政と生活の中心とした。
           寛文八年(1668)、地震により城は再び大きく被災し、この後現在目にしているV期石垣が築かれた。
          こうして、当初は豪壮な山城として威容を誇った仙台城だが、幾度の地震により、江戸中期以降本丸には
          板柵が巡るのみとなった。
           維新後、城は明治政府に接収され、二の丸が軍部の東北鎮台として利用された。その二の丸も、花火
          の失火により焼失した。唯一残った大手門と付属の隅櫓は国宝に指定されたが、太平洋戦争での空襲で
          焼失した。
           星霜とともに、本丸の高石垣に自重による孕みが生じたため、平成九年(1997)から、発掘調査を兼ねた
          石垣の解体修復工事が行われた。その際、今日我々が目にしている切込みハギの石垣の内側に、さらに
          二重の石垣が埋まっていることが分かった。調査の結果、政宗築城期の最も古いものと、その後の改修時
          のものであることが判明した。これら3期に亘る石垣は、古いものから野面積み、打込みハギ、切込みハギ
          と技術が順を追って新しくなっているため、貴重な発見となった。このため、本丸の石垣は「石垣の博物館」
          とも呼ばれるようになった。
           

       <手記>
           仙台開府400周年事業で本丸石垣が解体修復され、同時に本丸内も整備されました。以前は木が邪魔
          で良好とはいえなかった本丸からの眺望も開け、遠く仙台港や太平洋まで見渡せるようになりました。また、
          解体工事に伴う調査結果を来訪者向けにまとめた「仙台城見聞館」が建てられ、往時の技術を偲ぶことが
          できます。
           以前は交通の便も悪かったのですが、市内循環観光バス「るーぷる仙台」というのができて、観光客には
          身近になったと思います。
           発掘結果を受けて、城域の整備計画として本丸艮櫓や大手門の復興計画がもちあがっています。しかし
          艮櫓は、最終期の石垣ではなく、その内側の1期古い石垣上にあったため、その位置に建てろと騒ぐ学者
          連中と、青葉城の復興を市の振興に役立てたいとする商工会の間で論争を呼び、計画は宙に浮いている
          ようです。大手門の復興は、その奥の旧二の丸にある東北大学の移転が必要となるため、その前提条件
          とされる地下鉄東西線の竣工が欠かせません。
           復興事業に関して無益な論争が続いていますが、仙台出身者としては地元発展のシンボルとして早期の
          整備を切望しています。若い観光客が、交通整理の県警官に「これしかないの?」と聞いている様を見て、
          とても残念に感じました。
           ちなみに、現在本丸の西半分と西の丸は、護国神社の社地となっています。これは、戦後の国有地払い
          下げを受けて同社が本丸全域を買い叩こうとしたところを、市が交渉にって、本丸の東半分を何とか買い上
          げたことによるものです。史跡や観光名所としてこれだけ注目され、行政も力を入れ始めたというのに、本丸
          の入り口である詰の門跡には鳥居や横断幕が堂々と建てられ、社地側の遺構は整備もされず朽ちたまま、
          という現状には憤慨を覚えます。

          【追記】地下鉄東西線の開通により、国際センター駅や川内駅が最寄り駅となりました。また、本丸の整備
          も進み、御殿跡が地表復元されています。

           
 修復された仙台城本丸石垣。
 同上。この内側にU期とT期の石垣、
 また旧千代城の土塁が埋もれています。
 大手門隅櫓。大手門跡を貫いて走る道路は、主に東北大学に
 行くためのものですが、大学の移転に伴って大手門も復元する
 計画があります。
 復興計画のあった本丸艮櫓跡からの市内眺望。
 右奥には仙台港が見えます。
 現在は県知事公館の門となっている、唯一の現存遺構の四脚門。
本丸に向かう途中にある中の門跡。 
左右で石垣の年代が異なります。 
 三之丸から本丸に向かう別ルートの途中にある石垣。
大手門の北に位置する二の丸扇坂。 
身分の低い武士は大手門を通れず、ここから出仕していました。 
 扇坂脇の土塁。
同上。 
 二の丸跡に建つ説明板。


BACK