紅毛城(こうもう) | |
別称 : サント・ドミンゴ城、アントニー要塞 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: スペイン | |
交通 : 地下鉄淡水駅からバスに乗り、 「紅毛城」下車 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1628年、台湾北部に進出したスペインによってサント・ドミンゴ城(聖多明哥城)が築かれた のがはじまりである。当初の城砦は、木竹や粘土などで作られていた。翌1629年には、台湾 南部を拠点とするオランダが淡水へ攻め込んだが、撃退に成功している。1636年、スペインが 淡水駐留兵を一部フィリピンでの反乱鎮圧に派遣すると、原住民が蜂起してサント・ドミンゴ城 に火を放った。修復に際して、スペイン側は石材を用いて城を強化している。 1642年、スペインが同じくフィリピンへ守備兵を回した隙を突いて、オランダは金包里(現在の 新北市金山区)に上陸して基隆を攻撃した。基隆のスペイン守備部隊が降伏すると、紅毛城も まもなく無血開城した。 オランダは漢人の石工や原住民を雇用して、サント・ドミンゴ城を改修・拡張した。1646年に 完工すると、サント・ドミンゴ城はアントニー要塞(安東尼堡)と改称された。紅毛城の通称は、 漢人がオランダ人を「紅毛」と呼んだことに由来する。完成当初の紅毛城には、方形の城砦の 上に木製の城塔が建てられていたとされる。 1662年、鄭成功が台南のゼーランディア城を包囲し、オランダの守備隊を降伏させた。これに よりオランダ東インド会社は台湾から撤退したが、鄭氏政権の支配は台湾北部までは及ばず、 淡水と基隆ではオランダ軍が駐留を続けていた。1668年に至って、オランダ軍は台湾から完全 撤退したが、その際に紅毛城は破壊され、持ち出せなかった物品は焼却されたとされる。 1683年、清と鄭氏政権の間で緊張が高まると、鄭克塽は何祐を淡水に派遣し、紅毛城には 応急的な修復が施された。しかし、同年7月に澎湖諸島が攻略されると、何祐は清に内通した とされる。同年9月に鄭氏政権が清朝に降伏すると、紅毛城は意義を失い再び放棄された。 1724年、台湾府淡水県知事の王維は、現地の治安維持などを目的として紅毛城を改修した。 城砦の周囲に新しく城壁が築かれ、四方に門が設けられたとされる。しかし、淡水には軍隊が 駐留しておらず、紅毛城は運用されることなく再び朽ちていった。 1858年、天津条約によって淡水がイギリスに開港されると、1861年に領事館が開設された。 1867年には英清間で紅毛城を恒久的に借り上げる「紅毛城永久租約」が締結され、領事館が 城内に移設された。代理領事以下10名ほどのイギリス人が勤務し、城塔の2階が事務所として、 1階が監獄として使用された。このとき、イギリスは城壁を赤く塗り替え、城塔を平屋根に改めた うえで英国風の胸壁を設けたとされる。 1884年に清仏戦争が勃発すると、10月にフランス艦隊が淡水の上陸と占領を図ったが(淡水 の戦い)、淡水河口の機雷線やバリケード、そして白砲台や未完成の滬尾砲台の防衛ラインを 突破できず、紅毛城は戦火を免れている。戦後の1891年、イギリスは城塔の東側に領事公邸 を増設した。 1895年に台湾が日本へ割譲されると、イギリス政府は日本が紅毛城を買い取り、大稲埕への 移転費用を提供することを希望したが、受け入れられなかったため引き続き紅毛城を使用した。 1912年、日英間で改めて租借協定が結ばれたが、このころの紅毛城は観光名所としての性格 も帯びていたといわれる。 1941年に太平洋戦争が勃発すると領事館は閉鎖され、領事は日本本土へ連行された。戦後、 台湾を接収した国民党政府のもとで再びイギリス領事館として利用されたが、1972年に英国が 中華民国と断交すると、オーストラリアやアメリカによる管理代行を経て、1980年に台湾政府に 返還された。1984年12月25日に一般開放され、現在に至っている。 <手記> 淡水は台北市街を流れる淡水河の河口の港町で、台北市街から地下鉄(MRT)で行けます。 淡水駅からバスに乗るか、お店が並ぶ目抜き通りを歩いて20分ほどの距離です。 チケット売り場脇に蔦の絡まった小さな門があり、清朝時代に設けられた4つの門の南門だと いうのですが、気付かずに通り過ぎてしまいました。城砦の遺構としては、他に門跡や城壁跡、 井戸跡などがあります。正方形の城塔の周囲にもごく狭い周溝が巡っていますが、防御施設と いえるかは微妙です。城塔2階の窓からは、戦時には大砲が撃てるようになっているというの ですが、砲撃時の音や煙に砲手が耐えられるのか甚だ疑問でした。 より大きな領事館公邸との間にはレプリカの大砲が並んでいますが、あくまで飾りだそうです。 19世紀以降の砲撃戦に対応しているとは思えず、イギリスが借り上げて以降は純粋に領事館 としての利用に留まっていたのでしょう。台北の観光名所として賑わっていましたが、城跡らしさ はほとんどなく、みなさんオシャレな西洋建築の写真を撮って楽しんでいました。 |
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紅毛城城塔。 | |
浴室やトイレが入っている付属建物。 | |
城塔を巡る周溝。 | |
城壁の痕跡か。 | |
領事公邸。 | |
領事公邸と装飾用の大砲。 | |
門跡。 | |
井戸跡。 |