江泉館(こうせん) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 深内藤内か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、虎口 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「工業団地」下車徒歩15分 |
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<沿革> 応永六年(1399)に奥州へ下向した稲村公方足利満貞の居館稲村御所の備えと して、二階堂氏の命で築かれたとみられている。館主は、『白河風土記』によれば 深内藤内、『須賀川市史』には浜尾氏とある。 稲村御所は、満貞が永享十一年(1439)の永享の乱で鎌倉公方足利持氏と共に 自害するまでには廃されていたと推測されているが、江泉館のその後については 不明である。 <手記> 深内集落の生活道路沿いに説明板が設置され、その脇の登城口には城址標柱 も設けられているため、城山へ向かうまでは何の苦労もありません。ですが、山へ 入ってまもなく道はなくなり、主郭斜面には取り付けるものの、郭内は猛烈な竹藪 で視界もままなりません。主郭内部や北辺背後には土塁や堀が残っているという ことですが、そこまで行き着くのは冬場でも相当に大変そうです。 主郭の下には帯曲輪が巡っており、さらにその手前、道が途切れるあたりには 虎口を形成する小さな腰曲輪も見られます。雰囲気的には、稲村御所が滅んだ後 も、戦国時代まで在地領主の居館として続いたようにも思えますが、確証とまでは いえません。 それにしても気になるのは、「江泉」と書いて「こうせん」と読む館名です。館主の 法名ないし雅号に由来するとも考えられますが(たとえば保土原江南斎のように)、 どうにも気になるところです。 |
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江泉館跡説明板。 背後が城山。 |
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登城口と城址標柱。 | |
主郭の切岸。 | |
主郭内部のようす。 | |
主郭下の帯曲輪。 | |
その手前の虎口を形成する腰曲輪。 |