神足城(こうたり) | |
別称 : 神足屋敷 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 神足友春か | |
遺構 : 土塁、空堀、土橋 | |
交通 : JR東海道本線長岡京駅徒歩5分 | |
<沿革> 『九条家文書』によれば、永正元年(1504)に神足友春によって築かれたとされる。ただし、 神足氏は14世紀に神足を含む小塩荘に土着したと推測されているため、すでにあった居館を 城館として整備したものとも考えられる。 摂津国守護代薬師寺元長が、摂津郡代四宮某の籠もる神足城を攻め落としたとする記録 (『後法興院記』)もあるが、元長は文亀元年(1501)に死去しているため時系列的な矛盾が ある。 永禄十一年(1568)に織田信長が上洛を果たすと、神足氏は勝龍寺城主となった細川藤孝 に従った。元亀二年(1571)、信長の命により勝龍寺城の改修が行われると、神足城はその 北東の曲輪として組み込まれた。勝龍寺城の縄張り図には「神足屋敷」と書かれている。この 併合により、神足城としての歴史は幕を閉じることになった。 <手記> 神足城址には神足神社が鎮座しています。境内の東と南に、大規模な土塁や空堀、虎口や 土橋が残されています。とても見事な遺構なのですが、すべて神足城ではなく、藤孝時代の 改修による勝龍寺城としての遺構です。 地形的には、東の小幡川に望む緩やかな台地の先端で、南と東にやや落ち込んでいます。 勝龍寺城本丸との間には、ごく浅い谷があります。 |
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神足神社。 | |
土橋と虎口。 | |
空堀と土塁。 いずれも細川氏による勝龍寺城としての遺構。 |