九条河原城(くじょうかわら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 三好長慶か
 遺構  : なし
 交通  : 近鉄京都線上鳥羽口駅よりバス
       「吉祥院堂ノ後町」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『言継卿記』の永禄十一年(1568)九月二十四日の項に、「西院小泉島介 九条和久壱岐守等
          城早旦自焼 南方へ加わる」とある。この前日には、足利義昭を奉じた織田信長が大津まで到達
          している。小泉島介とは、小泉城主小泉秀清かその一族と思われる。秀清は三好方の武将で
          あったため、信長接近の報に触れて、城を捨てて三好氏を頼ったものとみられる。このことから、
          「九条」の住人和久壱岐守が九条河原城主であり、やはり三好方に属していたものと推測されて
          いる。
           これ以降、九条河原城が再び使用されたかどうかは不明である。

           
       <手記>
           九条河原城は、九条河原町交差点付近を南西隅とする方形の城と考えられています。以前は、
          東辺と北辺の堀がそのまま高瀬川として利用されていたということですが、現在では東側のみが
          残り、高瀬川も直線に直されています。その他、遺構や案内等はありません。
           高瀬川もここまで来ると、洛中とは違ってただの生活川のようになっています。

           
 東辺の堀を利用した高瀬川。
南西隅(九条河原町交差点)より城跡方面を望む。 


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