柴島城(くにじま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 十河一存か
 遺構  : なし
 交通  : 阪急千里線柴島駅徒歩3分


       <沿革>
           天文十八年(1549)の江口の戦いにおいて、細川晴元方の三好政長・細川藤賢の兵が拠り、
          三好長慶の大軍に攻められ榎並城へ敗走したと伝わる。長慶の弟十河一存によって築かれた
          ともいわれるが、その場合は江口の戦いまでに晴元方に奪われたことになる。
           その後の柴島城については詳らかでない。一説には、慶長二十年(1615)の大坂夏の陣にて
          田丸藩主稲葉紀通が陣所とし、戦後に摂津中島藩が成立してそのまま藩庁となったともいわれ
          るが、確証はない。紀通は寛永元年(1624)に福知山藩へ転封となったため、柴島城跡に陣屋
          があったとしても、このときに廃されたことになる。


       <手記>
           大阪の難読地名の1つとして知られる柴島は、現在では淀川と柴島浄水場に挟まれるような
          格好となっています。また、淀川の河川改修によってかつての集落の南東半分くらいが削られ
          ているようです。『東摂城址図誌』によると、淀川沿いに柴島神社があり、その西側に長方形の
          城域が想定されていたそうです。神社は河川改修によって集落の北側へ遷され、「本丸」「堀」
          「城道」「屋敷」「西屋敷」といった字名も残っていたそうですが、正確な位置は分からなくなって
          います。
           上の地図に示した角に城址碑が建っていて、そのあたりが城域だろうとのことです。いずれに
          せよ、当時とは周辺の地形が大きく変わっており、柴島集落内のどこにあったにせよ、微高地を
          利用した方形単郭の城であったという点には異論がないのではないかと思われます。


柴島城址碑。


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