リームプルク城 ( Burg Limpurg ) |
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別称 : 上リームプルク(オーバーリームプルク)城址 | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: ヴァルター・シェンク・フォン・リームプルク | |
交通 : シュヴェービッシュ・ハル駅より徒歩20分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> リームプルク城は、1230年の少し前にヴァルター・シェンク・フォン・シュプフによって築かれた。 フォン・シュプフ家は、マイン川中流域のマインフィーアエック(マインの四つ角)に端を発すると みられている。『ホーエンローエの諸城(原書名:"Burgen in Hohenlohe")』では、ヴァルターが この地を得たのは婚姻によるものだろうと推測している。築城の後、ヴァルターは姓をシェンク・ フォン・リームプルクに改めた(シェンクとは、献酌侍従という意味の宮廷役職号)。 1235年、ドイツ王ハインリヒ7世が父親の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対して反乱を起こ したが、敗れて捕えられ、後に自殺した。ヴァルターはハインリヒに近かったため、反乱に関与 したは不明だが、所領の多くを削られた。 ヴァルター後のリームプルク家は勢力を盛り返さんと、城の目と鼻の先にある製塩で栄えた町 シュヴェービッシュ・ハルに影響を及ぼそうと試みつづけた。しかし、ハルの町衆はリームプルク 側の門を閉鎖して交通路を迂回させるなど抵抗し、長らく争いは絶えなかった。結局、ハルが 帝国自由都市となったことで野望は頓挫し、1541年には逆にリームプルク城が下リームプルク (ウンターリームプルク)の村ごとハルに売却された。時の当主エラスムスは、リームプルク南東 のオーバーゾーントハイムの館に退いた。 その後、城はすぐに破却されたともしばらくは使用されたともいわれる。いずれにしても、ハル 自体が要塞都市として整備されていくなかで、リームプルク城はもはや価値を失っていた。 <手記> リームプルク城は、コッヒャー川とバーダースクリンゲと呼ばれる谷川に挟まれた舌状の峰の 上にありました。比高はそれほどなく、観光名所のコームブルク修道院とシュヴェービッシュ・ ハル旧市街のちょうど中間付近に位置しているので、アクセスも比較的容易です。 城跡は廃墟というより遺跡に近い状態で、詰門と隅櫓の塔のほかはほとんど基礎部分しか 残っていません。主塔も基壇しかなく、中で若者が宴会でもやったのか、焚火の跡や食料品の ごみが散らばっていました。したがって、縄張りを把握するのは容易ですが、当時の姿を想像 するのは困難です。まぁ、下手にロマンチックに復興されたりしていない分、私好みの城跡とは いえますが(笑)。 主塔には地下室があったようで、今も下りようと思えば入れるようです。さすがに、周囲に人 がいるならともかくですが、1人で下りて何かあるとまずいので中には入りませんでした。主塔 へはメインの入口のほかに、裏手からこの地下室を通って入るルートもあったようで、想像を 掻きたてます。 上の写真は隅櫓の塔ですが、後ろからラピュタのロボット兵でも出てきそうな良い雰囲気を 醸しています。城跡からはコッヒャー川ののどかな谷間の緑を眺めることができ、ちょっとした ピクニックにもちょうどよいのではないかと思います。 |
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主塔跡のようす。 中央奥の穴を下りて地下室へ行けます。 |
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主塔跡を反対側から。 | |
主塔から城外への地下通路入口(2枚上の地下室入口とは別)。 | |
地下室を覗いてみる。 | |
詰門跡。 | |
大手門隅櫓(?)の基礎部分。 | |
城跡からの眺望。 |