コームブルク修道院 ( Comburg ) |
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別称 : 大コームブルク(グロースコームブルク) | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: コームブルク伯か | |
交通 : シュヴェービッシュ・ハル駅または シュヴェービッシュ・ハル=ヘッセンタール駅 より徒歩20分 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1078年、コームブルク=ローテンブルク伯ブルクハルトはコームブルクの居城を修道院に 改め、自ら修道士として入った。コームブルク伯家の名が初めて登場するのは、1037年に 作成された『エーリンゲン寄付行為書』とされる。しかし、同書は11世紀末ごろに作成された ものともいわれる。ブルクハルトは1040年ないし1050年の生まれとされるため、いずれに せよ11世紀初めごろには、コームブルク伯家は成立していたものと思われる。このことから、 コームブルクの城も11世紀中に築かれたものとみられているが、詳しいことは不明である。 1116年にコームブルク伯家は無嗣断絶し、1138年に修道院はシュタウフェン家の所有と なった。その後、シェンケン・フォン・リームプルク家などを経て、1484年にヴュルツブルク 大司教に譲渡された。1560年と1575年には、防御塔と外周の城壁が増築された。しかし、 攻城戦が大砲を主体としたものに移り変わるなかで、砲撃戦用の設備があまり設けられて いないことから、実用を意識した改修ではなかったものと推測されている。実際、その後も コームブルクが戦場となることはなかった。 <手記> コームブルク修道院は、コッヒャー川に臨む半独立丘上にあります。外周石塁に囲まれた 修道院の姿は、優美な船のようにも見えます。ヴァッシュ川を挟んだ南側の丘を小コーム ブルクと呼ぶのに対して大コームブルクともいいますが、現在は単にコームブルクといえば この修道院を指します。 もとは城だったということから、城壁に囲まれて教会が建っているという特殊なフォルムを しています。ただ、城砦であった時期は短く、今日目にしている城郭としての遺構は修道院 になってから建設されたもののようです。ともあれ、外周城壁は教会とは対照的に無骨で 重厚であり、これが修道院の施設として築かれたというのも、逆に興味深くもあります。この 外周城壁は、歩いて一周することができます。 教会内部の豪華な装飾がウリだそうですが、城郭ファンの私は銃眼の開いた城壁を一周 歩いただけで満足でした。修道院からコッヒャー川沿いの道を北へ歩くと、リームプルク城の 下を通って20分ほどでシュヴェービッシュ・ハルの旧市街にたどり着きます。 |
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外周城壁と塔を見上げる。 | |
教会敷地内から見た外周城壁。 廊下を歩いて一周できます。 |
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城壁が二重となっている大手付近。 | |
外周城壁から修道院教会を望む。 | |
おまけ:修道院博物館に展示されているマスケット銃。 |