馬淵城(まぶち)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 佐々木広定
 遺構  : なし
 交通  : 近江鉄道八日市線武佐駅徒歩30分


       <沿革>
           六角佐々木氏重臣馬淵氏の城とされる。馬淵氏は、源頼朝を支えた佐々木四兄弟の長兄定綱の
          の五男広定に始まる。
           馬淵氏は六角氏の居城観音寺城の最高所に近いところに屋敷をあてがわれていたようで、近江
          国中でも重きをなしていたものと思われる。永禄十一年(1569)に六角氏が織田氏に逐われると、
          馬淵氏も没落したものとみられているが、馬淵城の動向については定かでない。


       <手記>
           現在馬淵集落には城屋敷という字名が残っていて、城は集落の北東部にあったと推察されている
          ようです。ただ、城を示すような遺構は何も残っていないようで、真光寺を訪ねたところ奥さんが出て
          こられて、馬淵氏の墓はあるが城については何も分からずただ法要のときに子孫が集まるのみだと
          の事でした。
           馬淵にはもう1つ円願寺というのもあるのでそちらも尋ねてみましたが、こちらの方は随分ぞんざい
          な扱いを受けてしまいました。


 


真光寺。馬淵城はこの周辺にあったと思われる。


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