勝山城(かつやま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 赤松氏
 遺構  : なし
 交通  : JR上越線群馬総社駅徒歩15分


       <沿革>
           現地案内板によれば、赤松氏によって応安四年(1372)に築かれた。赤松能亮のとき、姓を関口
          に改めた。赤松氏は、赤松則村(円心)の一族と考えられるが、系譜上どこに位置するかは詳らか
          でない。
           戦国期の関口氏の動向は明らかでないが、16世紀中ごろには、関口清房が関東管領上杉氏に
          従っていたとされる。『日本城郭大系』には、城主として関口政次の名が挙げられているが、いつ
          ごろの人物なのかは不明である。
           永禄九年(1566)、武田氏の侵攻により箕輪城の長野氏が滅ぼされると、まもなく勝山城も武田
          勢に攻め落とされた。城は、このときに廃城とされた。
           時代は下って慶長六年(1601)、関ヶ原の戦いの後に総社1万石を与えられた秋元長朝は、勝山
          城跡の南の植野に総社城を築城し、旧勝山城域の一部は総社城内に取り込まれた。


       <手記>
           城があった場所は、現在の勝山小学校の北側、元景寺の北東側にあたります。利根川のたび重
          なる流路変更によって、城のほとんどは川に崩落してしまいました。
           勝山城跡に当たる利根川河岸は、現在遊歩道として整備中です。その歩道の一角に、地元愛好
          会が立てた案内板があります(上図の点示部付近)。このほかには取り立てて遺構と呼べるような
          ものは見当たりませんでした。
           ただ、城跡から望む赤城山や子持山の景色は非常に素晴らしいものでした。


           
 城址案内板。
勝山城址から赤城山を望む。 


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