大豆戸城(まめど) | |
別称 : 安山城、小幡泰久館、小幡氏館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 小幡泰久か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR横浜線・東急東横線菊名駅徒歩5分 | |
<沿革> 『新編武蔵国風土記稿』によれば、天文年間(1532〜55)ごろに小幡伊賀守泰久ならびに 勘解由左衛門政勝が居住していたとされる。泰久は小畑久重の子とされ、はじめ今川氏に 仕えていたが、後に北条氏に転仕した。 大豆戸城の麓の本乗寺は、天文二十三年(1554)に泰久が開基したと伝えられる。泰久は 伊豆戸倉での合戦で戦死したとされるが、死亡年には永禄元年(1558)や同九年(1566) などいくつかありはっきりしない。政勝は泰久の子で、江戸衆の1人であったとされる。 北条氏が滅亡したのちは徳川氏に仕え、小幡氏は旗本として存続した。 <手記> 八王子神社および本乗寺の裏山一帯が城跡とされ、神社の西続きには小幡氏の居館が あったとされています。八王子神社は戦後に字大西にあった杉山神社と合祀され、現在は 八杉神社となっています。 神社本殿のあたりは丘陵の窪地の館地形にあり、神社脇から丘へ登る階段があります。 その脇には住宅が並び、一部削平地のように見える個所もあるのですが、おそらく遺構は 宅地化によって消滅したと考えた方が良いでしょう。丘の上からは、鶴見川流域を見渡す ことができます。 ところで小幡氏は江戸衆とされていますが、すぐ近くに小机城があるため、小机衆だった とみる方が正しいように思われます。 |
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八杉神社(旧八王子神社)。 | |
神社裏手の上り階段。 | |
大豆戸城付近からの眺望。 |