眼子田原の城(まなこだはら) | |
別称 : 眼子田原城、眼田原城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 澤堂五郎か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR飯田線沢渡駅徒歩7分 | |
<沿革> 『伊那市史』には、弘安年間(1278~88)の二階堂出雲、応永年間(1394~1428)の 小井弖薩摩守澤堂五郎の名を関係者として挙げているが、城館の存否も含めて詳細 は不明である。 江戸時代初期の光久寺大日堂の石塔には眼田氏の名がみられ、在地領主の末裔 とも考えられるが、こちらも関係があるのかは定かでない。 <手記> 伊那市の遺跡地図によれば、犬田切川の河口に臨む天竜川の第二河岸段丘面が 城跡とされています。現地は宅地等になっていて、遺構らしきものは見当たりません。 台地角先端部は伊那食品(かんてんぱぱ)の工場によって少々削られているようで、 城館があったとすれば、あるいは影響を受けているかもしれません。 麓には伊那街道が走っており、江戸時代には沢渡大辻と呼ばれ、待合や高札場が 置かれていました。たしかに犬田切川と天竜川、そして河岸の三者が迫る交通の要地 にして難所といった感じで、小井弖氏庶流の澤堂(沢渡)五郎かいたかは別としても、 ここに小砦の1つもこさえたくなるというのは理解できます。 台地の角に立つと正面に殿島城跡が望め、城があったかどうかとは別に、この景色 だけでも訪れる価値があったように思います。 |
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比定地台地角先端部のようす。 | |
比定地台地角付近現況。 | |
伊那市街方面の眺望。 | |
殿島城跡を望む。 | |
先端部の下。 地形が一部削られています。 |
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伊那街道沢渡大辻。 |