殿島城(とのしま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 殿島重国か
 遺構  : 堀、土塁、虎口
 交通  : JR飯田線沢渡駅徒歩25分


       <沿革>
           春日城主伊那部重親の弟大和守重国が、殿島に分家して殿島氏を称したとされる。
          殿島城は重国の居城として築かれたと考えられるが、確証はない。
           天文十四年(1545)、武田晴信によって高遠城福与城が相次いで攻め落とされる
          と、重親・重国兄弟も武田氏に降ったものとみられる。弘治二年(1556)、重親・重国
          兄弟をはじめ、伊那の旧国人が川中島の戦いの間隙を突いて蜂起した。しかし、反乱
          はまもなく鎮圧され、首謀者のうち8人は狐島(伊那市)で処刑された。
           その後の殿島城については不明である。


       <手記>
           殿島城跡の一帯は住宅街となっていますが、主郭とその周囲の堀跡が残り、城址
          公園として整備されています。この堀は基本的に二重で、部分的に三重になっている
          という、とても豪壮なもので印象に残ります。
           堀の規模に対して曲輪の造作は単純で、主郭は折れなどの工夫をもたない長方形
          をしています。郭内は広く、遊具なども設置されています。南西隅には展望台のような
          施設もありますが、樹木が整理されていないため眺望はまったく利きません。また、
          土塁をトンネルが貫通し、そのなかにトイレがあるという、遺構を保存したいのか破壊
          したいのか、よくわからない整備状況も気になりました。
           かつては主郭の外側に、さらに外郭が広がっていたということで、とても国人領主の
          殿島氏が独力で維持・防衛できるような城とは思えません。おそらく、後に武田氏に
          よる改修を受けたのでしょう。史料には明確には登場しませんが、とても見応えのある
          城跡といえます。

           
 城址公園入口の模擬門。
 ここに虎口が開いていたかは不明です。
主郭北辺の二重堀。 
右て外側にもう一重あります。 
 その三重目の堀。
一重目の堀底。 
 東辺の堀。
南辺の堀。 
 南辺の堀の二重になっている箇所。
郭内の城址碑。 
 主郭のようす。
主郭の土塁を郭内から。 
 南辺の虎口。
 こちらは元々あったものと思われます。
おまけ:土塁内に設けられたトイレ。 


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