政所城(まんどころ)
 別称  : 吉祥院城A、吉祥院政所城
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線西大路駅徒歩15分


       <沿革>
           遺跡ウォーカー等では「(吉祥院)政所城」、山本正男「京都市内およびその近辺の
          中世城郭」(『京都大学人文科研究所調査報告 第53号』)では「吉祥院城A」と呼ばれ
          ている。政所城のすぐ西と南西には、それぞれ「西ノ内城(吉祥院城B)」と「竹尻城
          (吉祥院城C)」がある。また、遺跡ウォーカーや『探訪ブックス 近畿の城』で吉祥院城
          として扱われている城は、山本「中世城郭」では「西ノ庄城」と呼称されている。
           北隣にある吉祥院天満宮に付随する城館であったと考えられるが、築城の経緯は
          不明であるまた、近接する他の2城との関係も詳らかでない。吉祥院天満宮は、織田
          信長ないし豊臣秀吉のころに社領を没収されている。
           『後法成寺尚通公記』の享禄四年(1531)四月二十五日の項に、「吉祥寺を柳本衆・
          一宮等責むと云々」とある。吉祥寺とは、吉祥院天満宮境内に存在した吉祥院を指す
          ものと思われ、このころには吉祥院を中心になんらかの城館施設が建てられていた
          ものと推測される。
           吉祥院城として史料に登場するのは天文四年(1535)のことで、『久保田文書』の
          細川晴国書状に、「吉祥院に於て入城の由神妙に候」とある。また、『親俊日記』の
          天文八年(1539)七月二十一日の項には、「吉祥城敗北すと云々」とある。さらに、
          『言継卿記』の天文二十年(1551)二月十六日の項には、山科言継が「吉祥院三好
          の所」へ赴いたものの、三好長慶が留守だったため引き返したことが記されている。
          これらの吉祥院の城が政所城を指すか、それとも他の西ノ庄・西ノ内・竹尻の3城の
          どれかであるのかは明らかでない。


       <手記>
           政所城は、吉祥院天満宮の南隣にあったとされる方形の城館です。とくに遺構や
          案内は見受けられません。城の南西端附近には、北政所墳墓という小さな地蔵尊の
          並んだ場所があります。北政所という名から、豊臣秀吉の正室のことかと思いきや、
          天満宮の主祭神菅原道真の妻だそうです。吉祥院天満宮は菅原氏の邸宅のあった
          ところとされることから、古くはこの墳墓のあたりまで菅原氏の居館の域内であったと
          推測されます。したがって、政所城は菅原氏の館の名残を利用した城館とみることも
          できようかと思います。

           
 政所城址中心部現況。
政所城南西端附近にある北政所墳墓。 


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