丸子城(まりこ)
 別称  : 鞠子城、宇津谷城
 分類  : 山城
 築城者: 斎藤氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口、土橋
 交通  : 静岡駅または新静岡駅よりバスに乗り、
      「吐月峰駿府匠宿入口」下車徒歩15分


       <沿革>
           詳しい築城年代は定かでないが、今川家臣斎藤氏によって築かれたとみられいてる。
          連歌師宗長が永正十四年(1518)に著した『宇津山記』には、「駿河国宇津の山は 今川
          被官斎藤加賀守安元しる所より」とあり、遅くともこのときまでには、斎藤氏の詰城が設け
          られていたものと考えられている。また、同書には北東麓の泉ヶ谷について、「安元先祖
          よりの宿所」と記していることから、早ければ今川氏が駿河を制した応永年間(1394〜14
          28)ごろの築城とする説もある。
           今川義忠の死後、義忠の従兄弟にあたる小鹿範満に家督を預けていた義忠の嫡子の
          龍王丸(氏親)は、文明十九年(1487)に伊勢盛時(北条早雲)の助力を得て範満を討つ
          まで一時期、丸子城に身を寄せていたとされる。また近年では、今川家の家督を奪った
          後も、しばらくは丸子館を居所としていたとする説も有力視されている。この際、今川氏は
          斎藤氏から丸子城を接収したと考えられているが、氏親以降の今川氏時代における城の
          扱いは定かでない。
           永禄十一年(1568)に武田信玄が駿河へ侵攻すると、丸子城には重臣山県昌景が入れ
          られた。同十三年(1570)には、諸賀兵部大輔と関甚五兵衛を城番に替え、天正六年(15
          78)ごろには屋代勝永が城将となったとされる。この間に、現在に見る縄張りが完成した
          ものとみられている。
           記録にはないが、天正十年(1582)の織田信長による武田攻めに際して持舟城が攻め
          落とされたのを機に、丸子城も徳川家康の手に渡ったものと推測されている。家康は松平
          備後守(竹谷松平清善か)を城に置いたが、同十八年(1590)に徳川家が関東へ移封と
          なるに及んで、廃城とされた。


       <手記>
           眼下に東海道丸子宿を見下ろし、すぐ脇を国道1号線バイパスが走るという交通状況に
          あって、丸子城は全国有数規模の遺構を残す稀有な山城跡といえるでしょう。登山口は、
          東麓の「駿府の工房 匠宿」向かいと、南西麓の誓願寺向かいの2か所にあります。後者
          は入り口が分かりづらいので、前者から登って後者から降りるのがおすすめです。車なら、
          匠宿の手前にキャパの大きい無料駐車場が利用できます。
           匠宿側から登ると、やがて丸子稲荷神社奥宮に出て、その裏に説明板があります。近く
          には「駐屯地(外曲輪)」と書かれた標柱がありますが、周辺はほぼ自然地形の尾根先で、
          ここが城内に含まれるかは賛否両論のようです。
           さらに進むと豪壮な三日月堀が現れ、城跡好きなら思わず歓声をあげるところでしょう。
          丸子城は曲輪配置としては単純で、南西端の本曲輪から直線状に曲輪が続きます。この
          三日月堀のある曲輪は、現地標柱では大手曲輪となっています。本曲輪と大手曲輪の間
          には二曲輪と北曲輪があり、二曲輪はさらに三曲輪と2つに分けられることもあるようです。
          北曲輪は北城とも呼ばれ、斎藤氏および今川氏時代の本丸とされています。今の本曲輪
          は南城ないし千畳敷とも称され、今川氏によって拡張され、武田氏によって本丸として整備
          されたと考えられているようです。
           丸子城の特徴は、一言でいえば「堀パラダイス」でしょう。先の三日月堀をはじめ、横堀・
          竪堀・堀切と、さまざまな性質の堀が良好かつ規模壮大に残っていて、眼福に次ぐ眼福と
          いえます。記録上は、この城が戦場となったことはないようですが、だからこそこんな街道
          の脇にあって、これだけの遺構を今日に伝えられることができたのかな、とも感じます。

           
 東海道丸子橋から丸子城跡を望む。
丸子稲荷神社奥宮と説明板。 
 現地標柱で外曲輪とある尾根。
 城内に含まれるかは微妙です。
現地標柱にいう大手曲輪の三日月堀。 
 大手曲輪のようす。
北曲輪の喰い違い虎口。 
 北曲輪と土塁(右手)。
北曲輪西下の横堀。 
 横堀が堀切となって出丸を切断しているところ。
二曲輪のようす。 
 二曲輪と本曲輪の間の堀切。
本曲輪の枡形虎口。 
 本曲輪のようす。
同上。 
 本曲輪に3つある虎口の1つ。
同上。 
 本曲輪および二曲輪西下の横堀。
横堀が一部切れている箇所。 
 横堀の途中にある仕切り土塁。
本曲輪西下の腰曲輪の堀と切岸。 
現地説明板では物見曲輪。 
 その下の大鈩曲輪の三日月堀。
大鈩曲輪の付け根のようす。 
奥へ堀切が、右手に三日月堀が延びています。 
 大鈩曲輪脇の大竪堀。
大鈩曲輪の堀切から続く竪堀。 
 城内からの眺望。
おまけ:丸子宿のとろろ汁で有名な丁子屋。 


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