持舟城(もちふね) | |
別称 : 用宗城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 今川氏 | |
遺構 : 曲輪、堀、井戸跡 | |
交通 : JR東海道本線用宗駅徒歩15分 | |
<沿革> 詳しい築城年代は定かでないが、戦国時代中期以降に今川氏によって築かれたと考え られている。城主としては、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで戦死した今川家臣一宮 出羽守宗是や、その子左衛門尉元実、そして徳川家康の正室築山殿の父親である関口 親永の名がみられる。 永禄十一年(1568)に武田信玄が今川氏から駿河を奪うと、持舟城には武田家臣三浦 義鏡および向井正重が城代として配された。とくに正重は、武田水軍の将としての役割も 担っていた。 天正七年(1579)、持舟城は徳川家臣牧野康成らに攻め落とされ、義鏡と正重は討ち 死にした。翌八年(1580)には武田勝頼が城を奪還し、重臣朝比奈駿河守信置を城代に 据えた。 天正十年(1582)、織田信長の武田攻めに伴い再び徳川軍に攻められ、信置は開城・ 降伏した。まもなく武田氏が滅亡すると、持舟城はそのまま廃城となったとみられている。 <手記> 持舟城は南が東海道本線の難所の石部トンネルに、北は日本坂に通じ、静岡平野の 出入りを押さえる要衝に位置しています。南の熊野神社前には船溜まりがあったとされ、 上記のとおり水軍城としての性格も帯びていたようです。現在の用宗(もちむね)の地名 も、港を意味する持舟の転訛とされています。 城内や登城路は地元の方々によって整備されており、夏の盛りでも問題なく見学でき ました。浅間神社脇から登ると途中に駐車場もあるのですが、道やスペースはいささか 狭いので、小回りが利く車でないと難があるかもしれません。 駐車場の真下は東海道新幹線が貫通していて、ひっきりなしに電車が通過していき ます。冬場なら富士山も望めるでしょうから、城好きだけでなく鉄道ファンや写真好きの 方でも楽しめそうです。また、線路の右手に伸びる尾根は、浅間山砦と呼ばれる出丸跡 ということです。 駐車場からさらに5分ほど農道と遊歩道を登ると、本丸に到着します。本丸には小さな 石碑のほか、町内会による立派でかなり詳しい説明板が設置されています。失礼ながら 町内会レベルでこの出来栄えというのは、なかなかお目にかかったことがありません。 本丸から奥を下ると、二の丸との間の大堀切に降り立ちます。堀底の右手には井戸跡 があるということでそれらしき建物も見えるのですが、手前にフェンスが設けられていて 間近に寄ることはできません。また、堀の向こうに二の丸があるのですが、こちらも登る 道が見当たりませんでした。 堀切からは二の丸の裾をスライドするのですが、こちらも帯曲輪跡のように見えます。 さらに、峰先に展望広場があり、2段に削平されていて、こちらも腰曲輪のように思えて しまいます。とはいえ城の遺構かどうかはっきりとは判別できません。展望広場の麓の 大雲寺が、居館跡とみられているようです。見学ルートとしては、展望広場の下で農道 に戻って1周となります。規模としては必ずしも大きいとはいえないのですが、大堀切の 造作にみられるように、かなり手をかけた城であったと思われます。 余談ですが、時間があれば訪城ついでにぜひ用宗漁港のどこかで生しらすを食して みてください。私はもう市販の生しらすは食べられないというくらい、衝撃的な美味しさ でした。 |
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用宗漁港越しに持舟城跡を望む。 | |
浅間山砦(右)と新幹線。 電車はバンバン走るので待つ必要もありません。 |
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本丸のようす。 左手に石碑が見えます。 |
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本丸から駿府方面を望む。 右手奥が日本平。 左手奥が賤機山。 |
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本丸と二の丸の間の大堀切。 中央、フェンスの向こうに井戸跡。 |
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麓に館跡の大雲寺を望む。 | |
二の丸裾の遊歩道。 帯曲輪跡か。 |
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二の丸下の展望広場。 腰曲輪跡か。 |