丸根砦(まるね) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 織田信長 | |
遺構 : 曲輪跡か | |
交通 : JR東海道線大高駅徒歩10分 | |
<沿革> 永禄二年(1559)、今川義元に寝返った鳴海城主山口教継によって大高城が攻略されると、 織田信長はこれを奪還すべく、対の城として周囲に砦群を築いた。丸根砦もその1つである。 大高城と今川氏の領国との連絡路を絶ち、尾張に侵攻してきた義元勢を食い止める目的が あった。 翌永禄三年(1560)、大高城への兵糧運び入れを命じられた松平元康(後の徳川家康)と 城将佐久間盛重の間で激しい攻防戦が繰り広げられ、盛重以下城兵は全滅したといわれる。 丸根砦の戦いは後に続く桶狭間の戦いの前哨戦となり、本戦で義元が討ち死にした結果、 大高城は再び織田家のものとなった。役目を終えた丸根以下諸砦は打ち捨てられた。 <手記> 丸根の名の通り、ほぼ円形の特徴的な独立丘上の砦です。小山とはいえかなり急な勾配 を持ち、要害性も比較的高かったのではないかと思います。 山頂には盛重以下の慰霊碑が立ち、やや下ったところに砦跡の石碑があります。山頂は 削平されたような感じにはほとんど見えません。山の中腹をぐるっと一周小道が回っています が、おそらくこれが当時の遺構で、犬走り状の待機スペースとその外側に木柵を設けた程度 の防御施設だったのではないかと思われます。 |
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丸根砦遠望。 | |
丸根砦址石碑。 |