三上館(みかみ)
 別称  : 三上城
 分類  : 平城
 築城者: 三上氏
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR東海道本線野洲駅よりバス
       「妙光寺」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、三上政実によって永享年間(1429〜41)に築かれたとされる。
          ただし、三上氏は近江国三上郷に発する氏族であるが、政実は因幡国に所領をもつ人物で
          ある。また、政実は長享元年(1487)の鈎の陣に参加している。六角氏征伐の親征である
          鈎の陣に、六角氏家臣とされる三上館の三上氏が参加していたとは考えにくい。また、永享
          年間とは年代的にやや離れすぎていることからも、政実が三上館を本拠としていたか否かは
          疑わしい。三上館が三上氏の居城であることは間違いないだろうが、政実と三上館三上氏
          は、どちらかが本流でどちらかが分流であると考えるのが妥当と思われる。
           三上館の三上氏は六角氏家臣としてはたらいたとされるが、その後の動向は不明である。
          元和元年(1615)時点で、三上季正が三上館にあったことが確認されている。季正は、寛永
          十七年(1640)に人吉藩で発生した「お下の乱」において、幕府の上使として派遣されたこと
          が細川家史料にみられる。その後も、三上館は旗本三上氏の屋敷として存続したものと思わ
          れる。


       <手記>
           三上山といえば、東海道新幹線からも間近に望める近江富士として有名ですが、三上館は
          三上山ではなくその北隣の妙光寺山の麓にあります。妙光寺山には三上氏の詰城があった
          とみられていますが、明確な遺構は見つかっていないようです。『近畿地方の中世城館』では
          三上城と三上館を峻別していますが、『大系』では三上城に統一しているようです。
           三上館周辺には、東から上屋敷・中屋敷・下屋敷の3つの小字があり、それぞれに城館が
          あったものとみられています。現在は、このうち中と下の2つの屋敷跡の遺構が見受けられ、
          中屋敷には今も三上氏のご子孫が住んでおられるということです。
           両屋敷とも民家の敷地であるため、外側から眺めるだけですが、より見ごたえがあるのは、
          土塁と水濠が巡っている下屋敷の方でしょう。おそらく、近世まで旗本屋敷として使用されて
          いたのだと思いますが、明瞭に遺構が見られる貴重な史跡といえます。

           
 三上館下屋敷の堀跡と土塁。
三上館中屋敷の堀跡と土塁。 


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