青野城(あおの)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 松平義春
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄西尾駅/東岡崎駅またはJR岡崎駅
      からバスに乗り、「下青野」下車徒歩15分


       <沿革>
           安祥城主松平長親の四男義春は、16世紀前葉に碧海郡青野を領し、青野城を築いて青野
          松平家を興したとされる。一方で、義春は東条吉良氏の名跡を継ぎ、東条松平家を称したとも
          いわれる。かつては、吉良義藤の子持清の後見として東条城に入ったとされていたが、世代
          が合わないことから今日ではほとんど否定されている。
           義春の次男忠茂は、弘治二年(1556)の日近合戦で戦死した。忠茂の子亀千代はまだ生ま
          れたばかリの赤子であったが、永禄六年(1563)に東条城が松平(徳川)家康に攻め落とされ、
          吉良義昭が追放されると、亀千代が東条城主に入れられた。狭義にはこのときをもって東条
          松平家のはじまりとされる。
           青野城はその後も存続したとも思われるが、動向は定かでない。亀千代は元服して家忠と
          名乗ったが、天正九年(1581)に若くして没した。跡を家康の四男忠吉(当時の諱は忠康)が
          継いだが、遅くとも同十八年(1590)の家康の関東移封までには、青野城も廃城となっていた
          ものと思われる。


       <手記>
           上青野の来迎院に義春の墓があり、ここが青野城跡と目されています。とはいえはっきりと
          した遺構や記録があるわけではなく、推測の域は出ていないものと思われます。
           私が訪れた2021年時点で、廃寺になったのか本堂がなくなっていました。境内の背後には
          段差が認められますが、城館に伴うものかは不明です。
           松平義春については、東条吉良氏との関わりの有無が議題の1つとなっています。個人的
          には、吉良氏と松平氏では格が違い過ぎるので、名跡を継がせることはないように思います。
          他方で、十八松平家周辺で足利一門の通字「義」を用いた諱はみられず、かなり特殊ケース
          である点には注目すべきでしょう。したがって、東条吉良氏当主までは行かずとも、その庶流
          の誰かと縁を結んでいたとしても、不思議ではないように思います。

           
 青野城址とされる来迎院。
 ここに本堂があったようですが、解体されています。
境内裏手の段差。 


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