下ノ城(しもの) | |
別称 : 南市城、田中氏館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 田中氏 | |
遺構 : 堀跡、曲輪跡 | |
交通 : JR湖西線安曇川駅よりバス 「下ノ城」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 田中氏の居館跡とされる。下ノ城の名は、田中氏の詰城であった田中城が上ノ城と呼ばれたこと に対応するものである。田中氏は、高島高信の次男頼綱のさらに次男である氏綱にはじまる。田中 氏は、いわゆる高島七頭の1つとして勢力をもった。 その後の田中城および田中氏について詳細は不明だが、元亀三年(1572)の織田信長の高島 攻略によって、他の高島の諸城と同様信長に制圧されたものと思われる。 ちなみに、江戸時代初期に柳川城主32万石にまで登りつめた田中吉政は、この田中氏の出身と いわれる。ただし、吉政の出自については史料がなく真偽は不明である。 <手記> 安曇川駅北西の下ノ城集落が、そのまま下ノ城跡だといわれています。水田のなかにぽっかりと 浮かぶようなわずか10軒程度の集落で、集落の北側は周囲の水田よりやや高くなっています。 集落の三方の水田には、それぞれ北堀・東堀・南堀の小字があり、残る一方も堀ノ内・戌亥堂と 呼ばれています。したがって、これらの水田を堀跡とみれば、集落そのものが郭内ということになり ます。その城域は、上の地図でもはっきりとみてとることができます。 田中吉政が城主田中氏の出身とするならば、吉政はここで生まれ、青年期を過ごしたことになり ますが、今では長閑な一集落以外の何物でもなくなっています。 |
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下ノ城址(下ノ城集落)を南東から望む。 |