湊館山館(みなとたてやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 笹町氏か
 遺構  : 曲輪跡か
 交通  : JR石巻線・仙石線石巻駅徒歩25分


       <沿革>
           葛西家臣笹町氏の居城といわれる。笹町氏は17代笹町伊賀守重持の代に、天正十八年
          (1590)の奥州仕置で葛西氏が改易されると共に所領を失ったとされ、その代数から葛西氏
          が奥州に入植したころから付き従っていたものと推測される。
           重持の孫・隼人介胤持は、葛西旧領を与えられた伊達政宗に取り立てられて家名を再興
          した。その子・元清は、寛永九年(1632)に石巻で5千石を与えられたが、貞享年間(1684〜
          88)に22代九左衛門を以て断絶したとされる。


       <手記>
           湊館山館について、湊字古館山の館山公園に比定するサイトが散見されますが、宮城県
          遺跡地図および『日本城郭大系』で館跡とされているのは、上図に示した半島状の突出部
          です。
           西側3分の1ほどは採石等で削られて崖となっており、東側は中腹に住宅とも小屋ともつか
          ない古い建物が横列に並んでいて、とても丘の上へ行ける雰囲気ではありませんでした。
          『大系』の記述から察するに、当時すでに踏査しがたい状況だったようで、「古いメモや記録
          などを中心に復元的に説明する」と独特の表現を用いています。それによると、主郭の西に
          空堀があり、その他の三方は数段の腰曲輪が巡っていたようです。
           笹町氏については、隼人介の諱に「胤」の字が入っていることから奥州千葉氏の一族とも
          類推されますが、出自は詳らかでありません。ただ、胤持の子・元清が5千石を領したとする
          のは、仙台藩の重臣クラスに匹敵してしまうため流石に誇張と思われます。

           
 日和山から湊館山館跡を望む。
東側から館跡を見上げる。 


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