大井城(おおい)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大井行秀か
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線、明智鉄道恵那駅徒歩10分


       <沿革>
           土岐光定の子で蜂屋氏の祖となった鎌倉時代後期の武将土岐定親の玄孫として、
          大井遠江守行秀の名があり、このころには城が築かれていたものと推測されている。
          ただし行秀が築城したかは詳らかではない。
           土岐惣領家は、定親の弟頼貞の系統が継承した。応仁元年(1467)の応仁の乱で
          惣領土岐成頼が西軍につくと、成頼や家宰斎藤妙椿が在京している間に東軍の松尾
          小笠原家長や木曽家豊らが東濃へ攻め寄せ、文明五年(1473)に大井城や萩之島城
          を落とした。
           その後は数十年間にわたって小笠原氏が東濃を支配していたが、天文年間(1532
          〜54)に岩村遠山氏が進出し、遠山氏家臣藤井宗常が城主となって城を改修した。
           元亀三年(1572)、武田氏が美濃に進出すると、岩村城などともに攻め落とされた。
          このときか、あるいは天正三年(1575)に織田勢が岩村城を奪還した後かに、廃城に
          なったものと考えられる。


       <手記>
           城は、中山道大井宿に突き出た舌状台地上に築かれた典型的な中世城郭といえ
          ます。大井小学校の敷地となっているため遺構は確認できず、立地と外郭線に往時
          を想像するのみです。
           大井は、古来美濃路と木曽路の分岐点として発展したところで、その町並みを俯瞰
          できる絶好の地にあったことが分かります。


 大井城跡。現大井小学校。
大井城址突端。 


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