春日古城(かすがこ) | |
別称 : 大島城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 春日氏か | |
遺構 : 土塁、堀、削平地 | |
交通 : JR飯田線伊那市駅(伊那バスターミナル) からバスに乗り、「上大島」下車徒歩2分 |
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<沿革> 麓の円応院には伊那部春日城主春日河内守昌吉の位牌があり、春日氏との関連が指摘 されているが、詳細は不明である。 <手記> 三峰川の河岸段丘上の崖端城で、現在は「天神ひろば」という小さな広場になっています。 広場の名前の由来となっている天神社があり、その脇に土塁が残っています。ここに説明板 があり、それによれば土塁の西側に空堀があるそうですが、猛烈な竹藪ではっきりとは確認 できませんでした。 天神社の反対側、広場の南東端から虎口状に下りる道があり、中腹にも小さなお社があり ます。境内は削平地となっていて、その東側には竪堀と思われる掘り込みが認められます。 おそらく主郭東側の空堀として上から延びていたのでしょうが、台地上の堀はなくなっている ようです。 今でこそ市道が主郭をぐるっと回って下っており、舌状地形のように見えますが、沢水など は見られず、おそらく方形の崖端の館城だったものと思われます。単郭だったのか複郭かは わかりませんが、選地的には古い形式に属するもののように見えます。 一般に、城名から春日昌吉の城とみられているようですが、昌吉は武田氏配下として重用 された人物です。時代を考えると、わざわざこの場所に小規模な崖端の館城を築くとは考え にくいように思います。 個人的には、むしろ春日古城と呼ばれるとおり、春日城の旧城主伊那部氏の初期の居城 だったのではないかと考えています。伊那部氏は春日城脇に春日神社を創建していること から、春日昌吉と同族の春日姓であると類推されます。『伊那武鑑根元記』には、春日氏は 応永(1394~1428)のころに高遠氏に属したとあり、高遠城にほど近いこの地に居館を構え、 のちに伊那部へと進出したとすることは十分に考えられるでしょう。春日城の築城は、同書 では天文三年(1534)とされており、その間の伊那部氏の居城ではないかというのが私見 です。 |
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主郭の天神ひろば。 | |
天神社と土塁。 | |
説明板。 | |
南東中腹のお社の境内。 削平地跡か。 |
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境内脇の堀。 | |
お社へ通じる虎口状の下り口。 搦手か。 |
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土塁西側の空堀があるとされる竹藪。 |