下の城(しものじょう)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口
 交通  : JR飯田線宮田駅徒歩25分


       <沿革>
           明確な城館遺構が残るが、史料や伝承にはみられず詳細は不明である。


       <手記>
           桜の公園となっている北の城から大沢川を挟んだ南側に隣接する城跡です。北の城の
          水田となっている南郭先端の畔を南進すると橋があるので、それを渡ると下の城の城域
          となります。河岸の縁沿いの遊歩道はベンチやテーブルが置かれるほどには整備されて
          いて、夏場でも歩くことはできると思いますが、主郭などを踏査するのは、やはりあまり草
          の茂っている時期は避けたほうがよいでしょう。
           歩道の川側には断続的に竪堀状の切れ込み地形が数か所みられます。ただ、天竜川
          に面した急斜面に竪堀が必要だったとは思えず、どちらかというと、川べりに下りる通路
          だったのではないかと、私見ながら考えています。
           反対側に目をやると、途中で藪の向こうに日の光が差しているところがあります。そこで
          低木をかき分けると、一応踏み分け道があるようなないような感じになり、主郭を抜けて
          西辺の土塁虎口に至ります。主郭西辺の土塁は単調な直線で、その外側には浅い空堀
          が付属しています。いったん戻って遊歩道をさらに南へ進むと、主郭南辺の土塁や堀と
          思われる地形もみられます。ただ、それ以上は藪化していて細かい状況の把握は困難と
          なっています。
           全体として、広大ながら単純な構造の主郭に代表される通り、北の城の主郭と比べると
          あまりここで戦おうという意志が、下の城には感じられません。館城ないし陣城の様相を
          呈していますが、直感的には後者のように思われます。たとえば、武田軍が高遠を経由
          して伊那を南下する場合、東春近のどこかで天竜川を渡るのが、最短ルートとなります。
          その際、渡河して最初の宿営地として、下の城はちょうどよい場所にあるように思えます。

           
 天竜川沿いの切れ込み地形。
 竪堀ないし川べりへの通路か。
同上。 
 同上。
主郭内のようす。 
 主郭西辺の虎口。
主郭西辺の土塁。 
 土塁外側の空堀。
同上。 
 主郭南側の堀と土塁。
対岸から下の城を望む。 


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