三次陣屋(みよし)
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 浅野長治
 遺構  : なし
 交通  : JR芸備線三次駅からバスに乗り、
      「商工会議所前」下車


       <沿革>
           寛永九年(1632)、広島藩浅野家初代・浅野長晟の庶長子である長治は、父の死を受けて5万石
          を分与され、三次藩を立藩した。三次陣屋はこのときに造営され、旧藩主福島家の下で尾関正勝が
          拠っていた尾関山城の跡にも下屋敷が設けられた。
           三次藩浅野家は5代続いたが、最後の藩主・浅野長寔が享保五年(1720)に数え8歳で夭折し、
          これを以て廃藩となった。三次陣屋も廃されて領地は本家・広島藩に収公され、再び立藩されること
          はなかった。ただし、広島藩による代官所としては存続したようで、文化十年(1813)には頼山陽の
          叔父にあたる頼杏坪が三次郡・恵蘇郡の代官として赴任しており、その際の役宅が陣屋跡に残って
          いる。


       <手記>
           現在の三次ふれあい会館を中心とする区画が三次陣屋跡です。道路を挟んだ商工会議所の前に
          説明板が建っており、その脇には館に使われていた石材という石が置かれています。
           上述の通り江戸時代中期に廃藩となったため、陣屋としての遺構は見られません。頼杏坪役宅や
          三次社倉といった建物が陣屋跡の敷地内にありますが、これらは廃藩後の築のようです。
           5万石というと、天守付きの立派な近世城郭を持っていても十分な石高ですが、三次陣屋は陣屋と
          してもかなり質素な部類だと思われます。藩内分知の支藩ということもあり、権威的な建造物は求め
          られていなかったのでしょう。

 商工会議所前の説明板。
館に用いられていたとされる石材。 


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