尾関山城(おぜきやま) | |
別称 : 小丸積山城、積山城、三次城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 上里守光 | |
遺構 : 曲輪、石塁、土塁 | |
交通 : JR芸備線三次駅からバスに乗り、 「尾関公園」下車徒歩3分 |
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<沿革> 天正十九年(1591)、三吉広高は比熊山城を築いて居城を比叡尾山城から移した。小丸積山と 呼ばれていた尾関山には、このときに出城が築かれ重臣・上里越後守守光を配したとされている。 ただし、比熊山築城以前から何らかの城砦が営まれていた可能性も考えられる。 慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いにより福島正則が安芸・備後を領すると、翌六年(1601)に重臣 の尾関石見守正勝が三次に2万石を与えられた。正勝は小丸積山城を居城と定め、これにより後に 尾関山城の呼称が生まれたとされる。 元和五年(1619)に福島家が改易されると、尾関山城も廃城となった。寛永九年(1632)に広島藩 の支藩として三次藩が成立すると、尾関山には下屋敷が設けられ、山頂に天文台「発蒙閣」が建設 された。 <手記> 尾関山は江の川・馬洗川・西城川の合流点に臨む半独立丘で、今は尾関山公園となっています。 2018年に廃線となるまでは南麓に三江線の尾関山駅があり、山の中をトンネルが通っていました。 北側中腹に公園の駐車場があり、比熊山城を訪れる際もここが拠点となります。 城は堀を用いず削平地を並べた構造だったようで、園内の平場の多くが曲輪の転用と思われます が、どこまでが遺構かは断言が難しい状況です。一部には石塁が見られ、やはり近世城郭の名残と 見られるのですが、確証はありません。 ステージのある広い曲輪が本丸とされていますが、その奥には最高所の詰曲輪とみられる平場が もう1つあり、あるいは天守に相当する高層建築があったものと考えられます。現在は展望台が設け られていて、三次市街を一望できます。また、南側斜面にも広めの削平地が雛段状に並び、『日本 城郭大系』では二の丸や三の丸とされています。 おそらく最盛期にはそれなりに石垣が用いられていたと推測されますが、福島正則の下で2万石を 領していたにしては、随分と質素な城のように感じました。尾関正勝は武で名を馳せた剛の人だった ようですが、それほど華美な城館には関心がなかったのでしょうか。 |
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尾関山公園のようす。 | |
帯曲輪か。 | |
帯曲輪および石垣跡か。 | |
本丸跡のようす。 | |
本丸跡から詰曲輪を望む。 | |
詰曲輪跡と展望台。 | |
展望台からの眺望。 | |
展望台から比熊山城跡を望む。 | |
展望台から二の丸・三の丸を俯瞰。 |