水判土館(みずはた)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR等大宮駅よりバス
       「水判土」バス停下車


       <沿革>
           慈眼寺付近には堀の内の字が残り、城館が並立していたものと推測されている。16世紀、
          慈眼寺は岩槻城主太田氏の庇護下にあった。そのため、永禄五年(1562)一月二十六日、
          北条氏康によって焼き討ちにされたとされる。
           慈眼寺はその後復興されるが、館については不明である。

       <手記>
           水判土館跡の慈眼寺は、鴨川と新川の合流点に突き出した台地の先端にあります。とくに
          遺構や碑などはありません。寺の説明板に、氏康に焼き討ちにあったくだりが記されている
          程度です。また、慈眼寺は見晴らしの良い高台にありますので、地形からも当時のようすを
          いくらかうかがうことができます。

           
 南から慈眼寺を望む。
慈眼寺本堂。 


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