沢山城(さわやま)
 別称  : 沢山城
 分類  : 平山城
 築城者: 西条氏か
 遺構  : なし
 交通  : 三陸自動車道桃生豊里ICから車で2分


       <沿革>
           『中津山村誌』等によると、葛西家臣・西条栄加入道ついで寺崎伊予守が城主で
          あったと伝わる。『日本城郭大系』には、12世紀末の奥州合戦のころ既に西条氏が
          あったとする伝を載せているが、信憑性は薄いと思われる。


       <手記>
           かつての中津山村であった浮島のような丘陵の北端近くに位置し、谷戸を挟んだ
          南側には八幡館が、丘陵の西端には中津山城があったとされています。比定地は
          処分場か何かになっていて、とても入って行ける雰囲気ではありませんでした。
           『大系』によると、頂部とその東西に平場や段築が見られたそうです。国土地理院
          地図の古い航空写真を見ると、基本的に丘陵上全体が畑地となっていたようです。

           

沢山館跡周辺現況。


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