中津山城(なかつやま)
 別称  : 中津山陣屋、中津山所、黒澤館
 分類  : 平山城
 築城者: 中津山氏か
 遺構  : 土塁か
 交通  : 三陸自動車道桃生豊里ICから車で2分


       <沿革>
           葛西家臣中津山長四郎が居城していたとされる。
           元禄八年(1695)、仙台藩主伊達綱村の弟・村和が、3万石を分知されて中津山藩を興した。
          中津山城跡付近に陣屋が設けられたとみられているが、同十二年(1699)に江戸城へ向かう
          途中、村和の供回りが行列を横切った旗本の岡孝常と刃傷沙汰に及び、綱村から謹慎を命じ
          られたうえ改易に追い込まれた。これにより、中津山陣屋は村和が一度も足を踏み入れない
          まま廃止となった。
           その後、伊達家臣着坐の家格の黒澤家が3300石で中津川所に配された。黒澤氏の居館は
          中津山城跡の東側に置かれたとされる(黒澤館)。


       <手記>
           中津山城は、かつての中津山村であった浮島のような丘陵の西端にあったとされています。
          三方を旧古川やその氾濫原の低湿地に囲まれ、東側の付け根を堀切で断てば立派な城館に
          なったと思いますが、現状は宅地や畑地等になっていて堀跡らしきものは見られません。
           普通に考えれば白鳥神社境内が主郭に見えますが、道路を挟んだ南東向かいの、ソーラー
          畑になっている一画が現状での城内最高所となっています。参道入口の南側には土塁状地形
          に囲まれた民家があり、『日本城郭大系』などに見られる西麓の枡形状遺構はこれを指すもの
          と思われます。
           わずか4年とはいえ伊達藩の支藩が置かれ、その後も藩内の所として続いていたにもかかわ
          らず、ずいぶんと寂しい感じには思えました。

           
 白鳥神社参道入口。
白鳥神社。 
 境内斜面。
 参道入口向かいの土塁状地形。 
枡形跡か。 


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