森ヶ城(もりが)
 別称  : 大谷城
 分類  : 山城
 築城者: 森大隅守か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR高山本線高山駅からバスに乗り、
      「大谷」下車徒歩20分


       <沿革>
           『飛州志』に森大隅守の居城とあるが、それ以上については記されていない。『斐太後風土記』
          によれば、大隅守は美濃金山城主森可成の庶弟で、永禄年間(1558〜70)に理由は不明だが
          飛騨へ移って森ヶ城を築き、近村を横領したとされる。大隅守の後は、三木自綱(姉小路頼綱)と
          対立する江馬氏の求めにより、可成の六男・千丸(後の森忠政)が城主に入れられたが、小牧・
          長久手の戦いで兄の森長可が討ち死にすると、森家の家督を継いだ。しかし、現地の大谷村に
          妾があり、千丸との間の子が森作義と名乗り、子孫を残したとされる。
           ただし、家督を継いだ時点の忠政は14歳であり、それ以前は一時期、織田信長に小姓として
          出仕していたなど飛騨へ赴いた形跡はみられない。また可成の弟に大隅守の名もみられない。


       <手記>
           森ヶ城は、平湯の山々に端を発する小八賀川が、渓谷部から丹生川の平野部に出る喉口部
          左岸の山上にあります。麓の国道沿いに「ペットの託児所」という元旅館(?)があるのが目印で、
          その向かいに城址碑が建っています。その脇から山道が付いているのですが、まもなく用水を
          渡ると途絶えてしまい、後は直登です。
           北東尾根に堀切が1本、北尾根にも堀切ないし腰曲輪とみられる造作があり、頂部は主郭の
          北西に腰曲輪が2段、南西および南背後にも腰曲輪および帯曲輪が付随しています。主郭には
          朽ちた標柱が残っていて、城内は明るい雑木林です。
           背後の腰曲輪は尾根に沿って左右2段になっていて、下段が通路、上段が迎撃空間のような
          印象を受けます。その奥は二重堀切となっていて、さらに竪堀が下方まで続いています。規模は
          小さいものの、このように後背の防御についてシステマティックな構造を持っているのが大きな
          特徴です。
           城主の森大隅守については、森可成の一族が永禄年間にこの地へ移り住むというのは、理由
          がにわかに思いつかず眉唾です。他方で周辺には森という地名がないことと、同じ山塊の西方
          稜線末端に、商人出身といわれるやはり出自不詳の塩屋秋貞の居城・尾崎城があることから、
          大隅守も元々の在地領主ではなかった可能性は考えられます。

           
 森ヶ城跡遠望。
登城口と城址碑。 
 直登中。
南尾根の堀切ないし腰曲輪跡か。 
 北東尾根の堀切跡。
主郭北東の腰曲輪と切岸。 
 主郭の標柱。
主郭北西尾根1段目の腰曲輪。 
 1段目腰曲輪と主郭切岸。
同じく2段目の腰曲輪。 
 主郭背後の腰曲輪。
 尾根筋に対して左右に2段になっています。
下段から上段及び主郭を見上げる。 
 背後の二重堀切。
二重堀切1条目。 
 同2条目。
二重堀切から続く竪堀。 


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