村松城(むらまつ)
 別称  : 村松陣屋
 分類  : 平城
 築城者: 堀直吉
 遺構  : 櫓、土塁跡
 交通  : JR磐越西線五泉駅よりバスに乗り、
      「城跡公園」下車


       <沿革>
           村上藩主堀直竒の次男直時は、父の死により寛永十六年(1639)に3万石を分知
          され、安田藩を興した。正保元年(1644)、直時の子直吉は村松に陣屋を新造して
          移った。
           嘉永三年(1850)、9代藩主直央は城主格を与えられ、村松陣屋は村松城として
          大きく改修された。慶応四年(1868)、戊辰戦争に際して村松藩は奥羽列藩同盟に
          加盟した。同年八月四日、村松城は新政府軍に攻め落とされ、藩主堀直賀は城に
          火を放って米沢へ落ち延びた。これにより村松城は城塞としての機能を失い、その
          まま明治維新を迎えた。


       <手記>
           村松城の中心部は、城跡公園となっています。土塁や堀、枡形などがきれいに
          整備されているのですが、これらは復元だそうです。もともとは陣屋なので、ほぼ
          単郭を基本としていて、南側に南御殿と呼ばれるもう1つの区画がありました。
           本丸の南西隅に村松郷土資料館があり、そこの職員の方によれば、南御殿跡
          に鎮座する稲荷神社の背後に、当時の土塁が残っているとのことでした。行って
          みると、たしかに土塁状の高まりがあるのですが、すべてが城の遺構かどうかは
          定かでありません。また、境内東側には広い窪地があり、資料館の図面に照らして
          みると、どうも御殿庭園の池泉跡のようです。
           また、公園に沿って斜めに走る蒲原鉄道線路跡の道路を挟んだ向かい側には、
          本丸の堀跡と思われる低まった長方形の田が見られます。江戸時代の陣屋造に
          始まる城ですが、なかなか見ごたえがあるように感じました。

           
 堀越しに大手の枡形を望む。
復元された堀と土塁。 
 同上。
城跡稲荷神社と土塁状地形。 
 同じく境内の土塁状地形。
境内東側の窪地。 
池泉跡か。 
 本丸の堀跡か。


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