横山城(よこやま) | |
別称 : 武曽横山城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 横山氏 | |
遺構 : 土塁跡、段築跡か | |
交通 : JR湖西線近江高島駅よりバス 「横山」バス停下車 |
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<沿革> 高島七頭の1つ、横山氏の居城とされる。横山氏は、高島高信の孫頼信にはじまるとされる。 横山下野守高長のとき、浅井長政に攻められてその軍門に降った。しかし、元亀三年(1572) に織田信長に攻められて降伏した。その後の横山城および横山氏について詳細は不明である。 『高島郡誌』によれば、城地は5千坪に及ぶ広大なものだったといわれる。 <手記> 横山城は、八田川南岸の緩やかな山裾の先にあったとされています。城内とされる一帯には、 御新造や御馬場、北・南的場、九文目、歌舞伎、新道、大道といった、城郭関連とみられる字名 があったとされています。城跡比定地の北側には、東西に長い段差があります。おそらく城内と 城外を分ける土塁ないし段築と考えられます。また、県道を挟んだ東側にも同様の段差が見受け られ、やはり城郭関連の段築と思われます。 横山城背後の山の南側裾先には、同じ横山氏のである武曽城と武曽館があります。横山城は 八田川流域、武曽城は鴨川流域と、分けて支配していたものと推測されます。 |
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字御新造北側の段差。土塁跡か。 | |
字北的場周辺のようす。 | |
東側の段差付近のようす。 |