妙胤寺館(みょういんじ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 千葉勝胤か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 京成電鉄大佐倉駅徒歩20分


       <沿革>
           妙胤寺はもともと弥勒院という真言宗の寺院であったが、正安元年(1299)に千葉胤貞の猶子・
          日祐が日蓮宗に改めたと伝わる。15世紀後半に本佐倉城を居城とする佐倉千葉氏(下総千葉氏
          /後期千葉氏)が成立すると、千葉勝胤が自らの名から1字ずつ取り、常勝山妙胤寺と改名した。
           妙胤寺館は、千葉氏の祈願所となった同寺を本佐倉城の支城化したものとみられるが、勝胤の
          手によるものなのかどうかは不明である。


       <手記>
           妙胤寺本堂背後の墓地は、堀や土塁状地形に囲まれた方形の区画になっており、ここが館跡と
          思われます。墓地として造成されている側の土塁地形がどこまで遺構なのかは不明ですが、堀に
          ついては、とくに北辺から西辺にかけてはっきりと見受けられます。
           本堂境内の南西辺にも土塁状の地形があり、もう1郭付属していた可能性も考えられるでしょう。
          寺域は本佐倉城から続く台地の角にあたり、防御性の高い城館とはいえないものの、それなりに
          重要な役割を担っていたのではないかと拝察されます。

           
 妙胤寺本堂。
本堂背後の墓地の南辺土塁状地形。 
 墓地のようす。郭内か。
北辺の土塁状地形。 
 北西隅の堀跡。
西辺の空堀。 
 同空堀の堀底。
本堂境内南西の土塁状地形。 


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