長沼城(ながぬま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長沼宗政か
 遺構  : なし
 交通  : 京王相模原線稲城駅下車


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』には、「昔長太郎と言人居住の地なりと、されどその時を伝へず、『東鑑』に
          のせたる長沼五郎宗政など言へるものゝ一族などにや」とある。
           長沼氏は、武蔵七党の1つ西党の流れを汲み、日奉宗忠の曾孫職任にはじまるとされる。長沼氏の
          本貫地については八王子市長沼町の長沼館にあったともいわれている。また、長沼氏に長太郎という
          人物がいるのかも定かではない。
           長沼宗政は藤原秀郷系小山氏の一族で、下野国芳賀郡長沼に発する人物である。そのため、宗政
          を稲城の長沼城と結び付けるのは困難と思われる。『日本城郭大系』では、小手指原の戦いにおいて
          長沼判官の名が『太平記』にみえるとして、これとの関連も指摘している。ただ、この長沼判官も小山
          氏系長沼氏と推測される。

       <手記>
           長沼城址は、現在京王線稲城駅となっており遺構は消滅しています。城跡からは外れた鶴川街道
          沿い(上の地図の緑点)に、城址碑が建てられています。その他には、稲城駅の上に架かる陸橋の
          名前が「城址橋」となっているのが、申し訳程度のよすがです。古地図を参照すると、南から三沢川へ
          向かって延びる細い尾根があったようで、これを利用した小城砦であったことは容易に見て取れます。
           城主について、長沼宗政と結び付けるのは無理があるでしょう。可能性があるとすれば、むしろ西党
          長沼氏の方であり、伝承にある長太郎とはあるいは「長沼太郎」の略されたものかもしれません。

           
 長沼城址碑。
稲城駅の上の城址橋。 


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