永島藤六屋敷(ながしまとうろく)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 永島藤六か
 遺構  : 不明
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス
       「古沢」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』の上古沢村の項に、『小田原衆所領役帳』に「五十貫七百八十
          八文 三浦秋屋 永島藤六内十貫七百八十八文 中部古沢に伏屋敷分共」とあると記され
          ている。『記稿』には、村内に「堀ノ内」の小字があったことも記述されているが、今日その
          字名は失われている。永島藤六について、詳細は不明である。


       <手記>
           恩曽川が大きく屈曲するところに張り出した丘陵の西側中腹に、「上海道」という小字が
          残り、『日本城郭大系』では永島藤六の屋敷跡との関連を指摘しています。上海道一帯は、
          現在広大な高台の畑地となっています。要害性はあまりみられないものの、屋敷があった
          可能性は十分考えられるのではないかと思います。丘の反対側には、板倉新次郎屋敷
          あったとされています。
           上海道西側の小沢の合流点付近を字「矢崎」といい、『大系』ではこちらについても屋敷
          と関わりがあるものと考えているようです。ただ、「矢崎」というのは地形からとられた字名
          として一般的にみられるものであり、この場合も川の合流点に突き出たところという程度の
          意味ではないかと思われます。
           そもそも、上古沢に城館があったとする確たる根拠があるわけではなく、あくまで字から
          推定されているに過ぎません。表面観察からは、屋敷が存在したと断言するところまでは
          至らないように思われます。

           
 字上海道周辺現況。
字上海道からの眺望。 
画面中央の樹林が字矢崎。 
 


BACK