中塩館(なかしお) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 中塩氏 | |
遺構 : 切岸か | |
交通 : JR常磐線いわき駅からバスに乗り、 「中塩」下車すぐ |
|
<沿革> 土豪中塩氏の居館とされる。中塩氏は岩城氏の庶流といわれるが、系譜について は明らかでない。岩城義衡の子で塩村を領したとされる塩五郎資経との関連も考え られるが、類推の域を出るものではない。 嘉吉二〜三年(1442〜43)に、本家岩城氏の家督を巡って岩城左馬助・清隆兄弟 が争うと(嘉吉の内紛)、中塩氏は左馬助を支持したとされる。しかし、白土城主白土 隆忠の擁する清隆が勝利し、後に白土氏が岩城本家を簒奪するに及んで、中塩氏は 衰退したものと推測されるが確証はない。 館跡南麓の蘭秀寺は、中塩館主中條平次郎政重が永禄元年(1558)に創建した ものと伝わる。中條氏と中塩氏について、読みが異なるだけなのか、別家なのかは 定かでない。政重は天正年間(1573〜92)まで中塩館に居住していたとされる。 <手記> 蘭秀寺裏手の丘が中塩館跡とされ、門前に設置された寺の由緒に、中塩館や中條 政重について触れられています。丘の頂部には熊野神社があり、その先端側の藪に 首を突っ込んでみると、境内の縁が切岸状になっています。『日本城郭大系』には、 土塁が残ると記されているので、これを指しているのかもしれません。 神社の西方は寺の墓地として切り拓かれていて、原地形を留めていません。 |
|
中塩館跡を見上げる。 | |
熊野神社。主郭跡か。 | |
神社境内縁の切岸状地形。 | |
同上。 | |
蘭秀寺墓地から熊野神社方面を望む。 | |
中腹からの眺望。 | |
蘭秀寺。 |