白土城(しらど)
 別称  : 白土館
 分類  : 山城
 築城者: 白土氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR常磐線いわき駅からバスに乗り、
      「堀の内」下車徒歩15分


       <沿革>
           岩城氏庶流白土氏の居城とみられている。白土氏は、『国魂系図』によれば岩城太郎
          隆義の弟隆行にはじまるとされるが、確証はない。15世紀前半ごろ、白土隆弘が勢力を
          伸ばし、隆弘の子ないし孫とされる隆忠が、嘉吉二〜三年(1442〜43)の嘉吉の内紛を
          制して本家を簒奪したとみられている。隆弘は、岩城氏系図にみられる岩城二郎常朝と
          同一人物ともいわれる。
           隆忠ないし、続く親隆・常隆の代に、白土系岩城氏は居城を大館城に移した。以後の
          白土城については不明である。


       <手記>
           増福寺北東の峰が白土城跡で、境内の向かいから主郭裏を抜ける道があり、そのまま
          主郭へと通じています。増福寺との間の道路は、北麓から上がれるようになってはいます
          が、かなり急な悪路なので、車でこちらから登るのは絶対におすすめしません。上の地図
          にある、北東麓から増福寺南東に至る新道を利用しましょう。
           主郭内は植樹林となっていますが、あまり手入れはされていないようで、歩けはします
          が藪化が進行しています。西辺に土塁があり、なんとかしてその上に登るとそこから北へ
          土塁状の道が続いています。
           主郭の北には2〜3段の腰曲輪が連なっていて、いずれも西辺が土塁となっているのが
          特徴です。そして、土塁上の道をさらに行くと、北端の曲輪跡とみられる花地稲荷大明神
          に出ます。境内からは、先述の悪路まで参道が付いているので、ぐるっと1周して見学する
          格好です。ちなみにこの参道は、急な尾根筋のつづら折りになっているので、登りも下りも
          かなり大変です。
           全体的な印象としては、規模もそこそこあり工事量も多く、戦国時代まで岩城氏の有力
          支城として存続したものと推察されます。なにより、戦国期に先立つ下克上の舞台として、
          個人的にとても興味深い城跡といえます。

           
 主郭背後の切岸。
主郭土塁を見上げる。 
 主郭内のようす。
主郭土塁。 
 主郭土塁の南西隅。
主郭西辺の土塁。 
 主郭下の曲輪の堀跡。
主郭下の曲輪のようす。 
 主郭下の曲輪西辺の土塁。
北端の曲輪とみられる花地稲荷大明神。 
 境内手前の堀切跡。
境内から平城跡(平市街)を望む。 
 花地稲荷大明神のつづら折れの参道。


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