中曽根城(なかそね)
 別称  : 千葉城
 分類  : 平城
 築城者: 千葉氏
 遺構  : なし
 交通  : JR常磐線・東武伊勢崎線・地下鉄千代田線
       北千住駅よりバス。「関原2丁目」バス停下車


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』に、「千葉某」の城跡とある。『日本城郭大系』には寛正年間(1460〜66)
          の築城とされているが、論拠は不明である。また、現地の説明では千葉勝胤の築城と書かれている
          が、勝胤は文明三年(1471)の生まれなので、『大系』の記述と合わない。
           勝胤は、享徳三年(1455)にはじまる享徳の乱における千葉氏の分裂後の、いわゆる下総千葉氏
          の当主で、その居城は本佐倉城である。他方の千葉実胤・自胤兄弟にはじまる武蔵千葉氏は、太田
          道灌を頼って石浜城を居城とした。中曽根城は武蔵千葉氏の城と考える方が自然なように思われる。
           永禄二年(1559)にまとめられた北条氏の『小田原衆所領役帳』によれば、中曽根周辺に「千葉殿」
          が役高を有していたとある。当時の下総千葉氏は北条氏と良好な関係にあったものの、まだ家臣化
          はしていなかった。したがって、この「千葉殿」は武蔵千葉氏に連なる人物と推測される。

       <手記>
           『記稿』に城跡とある妙見社は昭和初期に興野の雷社と合祀され、今は中曽根神社となっています。
          神社境内が城の一隅にあたるとされ、説明碑や城址碑があります。妙見菩薩は、千葉氏の守護神と
          されています。
           『記稿』によれば、中曽根城は六町四方の規模をもち、周囲を土居や堀に囲まれていたとあります。
          現在では遺構は残っていません。
           
 中曽根神社境内の城址碑。
中曽根神社本殿。 


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