楢葉館(ならは) | |
別称 : 山田岡館、木戸城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 楢葉隆祐か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀 | |
交通 : JR常磐線木戸駅徒歩20分 | |
<沿革> 楢葉隆祐の居館とする説があり、楢葉館とはこれに即した仮称である。隆祐は、平安 末期の海道平氏平隆行(成衡)の長男で、楢葉郡を領して楢葉氏を称したとされる。 楢葉氏は文明六年(1474)に岩城氏に滅ぼされたとされるが、その経緯には不明な点 も多い。資料によっては北の標葉郡を領した同族の標葉氏と同一視したり、標葉氏を 隆祐の子孫としていたりするものもある。 岩城氏支配下の楢葉館主については詳らかでない。16世紀前半には木戸城および 富岡城が、標葉氏を滅ぼした相馬盛胤の子顕胤に攻め落とされたとされる。ただし、 この木戸城が山田岡館を指すのかは確証がない。顕胤は、標葉氏旧臣の下浦泰清を 木戸城代に据えた。 元亀元年(1570)、木戸城は岩城常隆(11代)の子隆時によって奪回されたとされる。 楢葉郡は豊臣秀吉の天下統一後も岩城領となっているため、山田岡館は遅くとも慶長 七年(1602)に岩城家が改易となるまでに廃されたと推測される。 <手記> 東京オリンピックで聖火リレーの出発点となった、Jヴィレッジのすぐ北の丘が楢葉館 です。主城部は大きく2段の曲輪から成っていて、下段の副郭が畑地に、上段の主郭 は見通しのよい雑木林となっています。主郭は東辺を除く3方に高い土塁が巡らされ、 北西隅は櫓台状になっています。 主郭部から北東方向に派生する3本の峰は、それぞれ北から小館・羽出庭・仲之城 と呼ばれ、いずれも城域に含まれると考えられています。小館と主城部の間を抜けて 羽出庭に生活道路が延びていて、小館との境には土塁状地形もみられます。主城部 東側には深い堀があるとのことですが、民家の敷地や藪化した家屋跡を通り抜ける 必要があり、今回はたどり着けませんでした。仲之城も民家の敷地で内部は歩いて 回ることができず、羽出庭も宅地となっていて明確な遺構は見られませんでした。 全体として、浜通りの城としてはかなりの規模をもつものの、必ずしも要害地形とは いえない点が印象に残りました。楢葉隆祐云々は別としても、もともとは在地領主の 居館からスタートし、相馬氏との係争地となったことで、大きな改修が加えられたもの と推察されます。 |
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楢葉館の城山を望む。 | |
副郭から主郭を望む。 | |
主郭南西隅の土塁。 | |
主郭北西隅の土塁。櫓台跡か。 | |
副郭のようす。 | |
小館のようす。 | |
小館の付け根の土塁状地形。 | |
羽出庭にようす。 |