富岡城(とみおか) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不詳 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR常磐線富岡駅徒歩20分 | |
<沿革> 大永四年(1524)ないし天文三年(1534)、相馬顕胤が富岡城および木戸城を 攻め落とした。当時、富岡を治めていた岩城隆時の居城は日向館であったとされ ているため、この富岡城がどこを指すのかは詳らかでないが、このときまでには 築かれていたものと推測される。 元亀元年(1570)、隆時は木戸城・富岡城を相馬氏から奪還したが、同年に死没 した。その後、慶長七年(1602)に岩城家が改易となるまで富岡は岩城領であった が、城の扱いについては詳らかでない。遅くとも、改易時までに廃城となったものと 推測される。 <手記> 富岡城の場所は、今も明らかとなっていません。諸資料を見比べると、富岡高校 の東側とする点では一致しているようです。『日本城郭大系』では字上ノ町を城地 に比定しており、高校の北東には復興の一環とみられる町営上の町団地が建設 されています。南にはかつての沢谷戸とみられる貯水池があり、細尾根となって いて、一応の要害地形ではあります。団地として開発されているので、遺構などの 有無は不明です。 その東側にも尾根が長く続いていて、先端は上の町B遺跡があるものの、こちら は縄文時代の集落跡だそうです。他のサイト様では、その中間にある小豆袋状に ふくらんだ部分を城跡と目しているように見受けられます。私も気にはなりましたが、 大半が私有地のうえ、少し歩いてみたもののやはり峰続きの東西から攻められて しまう根本的な弱点があるので、ここを選ぶ蓋然性は低いように感じました。 その上で個人的に気になったのが、貯水池南東に突き出たより細く短い舌状の 峰先です。ここは南北を谷戸に挟まれ、付け根を掘り切ればそれだけで城砦となる 地形です。岩城氏あるいはその前の楢葉氏の地力を考えれば、このくらいの規模 がちょうどよいように思います。もし推測が正しければ、高校の東門脇が付け根に あたり、この位置におそらく堀切があったのではないかと考察しました。 |
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貯水池越しに上の町団地を望む。 | |
個人的に富岡城跡ではないかと思う峰のようす。 |