新谷陣屋(にいや)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 加藤直泰
 遺構  : 評議所
 交通  : JR内子線新谷駅徒歩15分


       <沿革>
           大洲藩初代藩主加藤貞泰は、元和九年(1623)に跡継ぎを定めないまま世を去った。
          このため、幕命により嫡子泰興が本家を継ぎ、次男直泰に1万石を分知するとの内諾を 
          得た。しかし泰興がこれに反対し、寛永十六年(1639)に至ってようやく藩内分知という
          形で新谷藩が成立した。
           寛永十九年(1642)、直泰は喜多郡上新谷村に陣屋を建設した。 新谷藩は内分分知
          の支藩であり、幕府からみれば陪臣であったが、幕府から正式に大名と認められた全国
          でも稀有な例である。
           新谷藩は9代を数えて、明治維新を迎えた。

       <手記>
           新谷陣屋跡は、現在新谷小学校などになっています。校門前に石碑や説明板があり、
          校舎裏手には唯一の現存遺構とされる麟鳳閣があります。麟鳳閣は慶応四年(1868)
          に建てられた評議所および謁見所の建物で、平屋入母屋造の陣屋としては大きな建物
          です。発掘調査の結果、脇を流れる大久保川が付け替えられた形跡がみられるなど、
          陣屋の造営にあたってはかなり大規模な工事がなされた可能性が示唆されています。
           新谷は大洲と内子のちょうど中間くらいで、行き来するのにわざわざ高速を使うまでも
          ないので、この両観光地を訪ねる際についでに立ち寄るとちょうど良いかと思います。

 新谷陣屋跡石碑。
 石碑の下に説明が記されています。
麟鳳閣。 
 ちょっと城郭風の新谷小学校。


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