野々井城(ののい)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : 土塁、虎口か
 交通  : 関東鉄道常総線新取手駅またはゆめみ野駅徒歩15分


       <沿革>
           茨城県の遺跡地図(いばらきデジタルまっぷ)に記載があるが、詳細は明らかでない。
          野々井城跡に建つ白山神社は、縁起によれば地区の祖である長束民部・兵部・刑部の
          三兄弟が、養老二年(718)に創建したものとされる。ここで、同じ取手市内の取手城
          ついて、『日本城郭大系』では戦国時代の「長策民部」の居城とある。『大系』の典拠は
          不明であるが、「長策」を「長束」の誤記ないし転訛とすれば、野々井城についても長束
          氏が築いた城館とみることも可能と思われる。


       <手記>
           野々井地区の白山神社境内が野々井城址とされています。境内の四周には明確に
          土塁跡が認められますが、必ずしも城館のものと言い切れるものでもありません。これ
          を城跡のものとすれば、野々井城は台地の角に築かれた長方形の城館といえます。
          北辺下の道路は堀跡のようにも見え、また北東隅には櫓台状の高まりと虎口状地形
          がみられます。
           西側は谷戸になっており、かつてはおそらく藺沼(いぬま)から続く湿地が入り込んで
          いたものと思われます。稲作に向いた土地のようには見受けられず、集落の広がって
          いる台地上に畑を拓いていたものと考えられ、かなり古い時期の開発領主の館とみる
          のが適当かと思われます。
           長束(長策)氏についての考察は私の直感によるものですが、8世紀初頭に開発が
          始まったというのはさすがに早すぎるような気がするので、武士の時代に入ってから、
          野々井や取手に長束氏が入植したとする推測は、充分あり得るものと考えています。

           
 白山神社本殿。
東辺の土塁。 
 西辺の土塁。
北東隅の櫓台状の高まり。 
 北東隅の虎口状地形。


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